Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

密集、不快こそ都市生活

ソーシャルディスタンシングが叫ばれ始めてかなり経つ。ビニールで客とスタッフの間、パネルで客席と客席とを仕切る店も一般的になった。電車ではなるべく隣と距離を空けて座り、喫茶店では人から離れた席を探す。それが暗黙のマナーになってきている。

人生の半分近くを東京で過ごしてきたが、僕にとって東京は「どこへ行っても人がいる」街だったし、いまもそれは変わらない。常に人が流入して、情報と物とお金が行き交うことが都市を都市たらしめる所以だと思っている。

先日、地下鉄駅前のドトールでぼーっとしていたら、一人の客が入ってきて隣に座った。窓ガラスに面した、席が二つあるカウンター席だ。他にも席があるはずなのにどうしてわざわざ隣に座るのかと、少しイラついた。僕はソーシャルディスタンシングなんて気にもかけていないので、感染云々の点から不快に感じたわけではない。ただ、隣に人が来るのが落ち着かなかった。

一方で、窓ガラスの外ではオバサン三人が立ち話をしていた。窓ガラスからは改札を行き交う人たちが眺められ、僕はその風景を見ながら考えごとをするのが好きなのだけれど、オバサン三人がいるせいで視界が狭まり、なんとなく不愉快だった。女性の立ち話はたいてい長い。結局、彼女たちは30分ほど僕の視界を遮っていただろうか。隣の客と目の前の三人。帰宅前に一息つく時間がなんとなく、そわそわとした時間になった。

僕はこういうことに神経質な質だ。けっこう音に敏感だし、騒がしい環境が気に触る。通勤の行き帰りではマナーの悪い人にしばしばイライラもする。

そもそも東京は、人が大勢いて、ある意味で不快な街だ。密集と不快は都市の本質と言えるかもしれない。

しかし、人が密集するからこそ、人と人の出会いから新しいカルチャーが生まれるし、産業に新陳代謝が図られるし、イノベーションだって起こる。他人の存在が不快に感じられるなら、人里離れた山奥へ引っ越すしかないのだ。都市生活に伴う不快は都市の魅力と表裏一体なのだと思う。

こんなつまらないことで神経を使うのは損だ。喫茶店での些細な出来事から僕は少し反省をした。

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