いろいろ疲れることの多かった2023年
節分の昨日をもって昨年2023年が終了する前提で書きますが(立春は今日2月4日の夕方頃)、昨年はいろいろと本当に疲れることの多い1年でした。これまでを振り返ってみても、こんなに笑っちゃうほど惨憺たる有様だった年はないくらいです。
まず、会社で春先から社員が産休のために一人抜けて、業務負担がかなりしんどいことに。連日、綱渡りのような業務を続けていたなか、イライラが高じて3月頃にWebミーティングでキツい物言いをして、ある女性を泣かせてしまったこと。
ゴールデンウィーク明けあたりから花粉症(杉やヒノキではない花粉症)が例年以上に凄まじくなり、何をしていてもゲホゲホと咽喉が痛く、結局医者には行きませんでしたが、症状が鎮まるまで1ヵ月くらい苦しんだこと。
それから、ある一つのお別れ(詳しくは書けません)。
その後、11月頃。アパートから自動販売機へ飲み物を買いに歩いて出たところ、自転車にフラフラと乗ったチンピラのような変質者に急にからまれて、家の前までついてこられたこと。これは本当に気持ちが悪かったです。
12月には父親が死去。夏頃から、母親から父が「(あれだけ食欲旺盛だったのに)食が細くなって痩せてきた」と聞いていて、医者へ連れて行くよう勧めていたのですが、やっと胃カメラを撮った結果の説明を10月に受けたところ、かなり進んだ胃ガンでした。それからは、病院へ何度も見舞いに行きました。なんとか回復するよう毎日祈りを捧げました。けれど、会いに行くたび少しづつ弱っていく姿を見るうちに、遠からず別離の日は来るのだろうなという覚悟もできていました。最後に見舞った日の深夜、僕が東京へ戻った後に実家の家族に看取られて父親は逝きました。してあげればよかったこと、してあげられなかったことを悔やむ気持ちと、人が亡くなるとき、最期はバタバタとあっけないものなんだなと感じました。
そして、父親の葬儀当日朝に左膝を捻ってしまい、半月板を損傷。納骨を終えてから手術入院することになり、いま病院でこのブログを書いています。もう丸二週間以上、入院しています。それにしても、麻酔が切れてからの激痛と、痛みのせいでよく眠れない数日間は辛かった。
2024年は、気持ち明るく過ごせる良い年にしようと考えています。
またお会いしましょう。
宿曜占星術で言うところの大限破門へ
昨年から通っている天台宗の名刹で先生(ご住職)に密教の宿曜占星術で鑑定していただいたところ、「来年(令和六年、つまり今年)の春頃から大限破門に入る」と言われました。
公私とも昨年春からいろいろな不祥に見舞われているので、実感としては、すでに大限破門的状態に突入しているのでは?と考えたりしていますが、ついに大限破門も来るかぁ~と半ばうんざり。一方でどんなアクシデントが起こるのか内心興味津々という、アンビバレントな気持ちになっています。
神保町で八千円する専門書を買って調べてみましたが、占星盤を繰るとたしかに今春から大限破門に入りそうです。僕は兄弟位が破門なので身内や兄弟や地元の力は頼れないが、遷移位が建門なので自ら起こす変化や大きな移動、引っ越し、故郷を離れて他郷へ行くこと、師匠や先輩や他人が吉となる由。大限破門の現象としては、中途挫折、女難などに注意とのこと。なかなか面白いです、宿曜占星術。弘法大師が招来された宿曜経が根本なので、密教の信仰にリンクしていることに救いがあります。
宿曜での大限破門というのは、巷では"破門殺"とも呼ばれていて、二十七年の間に一度誰にでも必ず廻ってくる凶運気のことです。大限の他に中限と小限の破門もあって、それぞれ大限よりも短いサイクルの中で短い期間、廻ってくるとされています。宿曜占星術では生年月日によって二十七の宿のどれかがその人の本命宿になり、0歳から始まって二十七年で運気が一巡するとみます。
今年の立春から辰年ですが、僕は戌年生まれで、向かい干支の年回りです。十二支の対極は冲となり、一般的には良くありません。中華圏では、干支の方位に太歳が廻るので、向かい干支は冲太歳と言って要注意、その年の干支生まれも犯太歳と言って実は良くないとされますね。
冲太歳に大限破門。今年はどうなることやら。四柱推命では命式の年柱に戌(墓)が入っているので、歳運の辰と冲することで"墓庫が開く"ことになり、その点でも占い的にみたときに今年は興味深い年になりそうです。ちなみに僕は、年柱が戌な他、日柱は丑、時柱は未なので、歳運の辰が入ると、辰・未・戌・丑の土局が四つ揃います。これもどう出るか。
またお会いしましょう。
ソウルのタバンを訪ねて感じたこと
ようやく新型コロナ禍前のように自由に旅行できるようになり、ゴールデンウィークにソウルへ旅立ちましたが、ソウルは二度目で、下調べのために事前に読んでいた「ソウル おとなの社会見学」(大瀬留美子著)というとっても面白いソウル本に紹介されていた、史跡や遺構やレトロ喫茶店を中心に巡ることにしました。
いわゆるレトロな喫茶店、大規模チェーン店ではなく、創業時からの個性と雰囲気を守り続けてきたような喫茶店を韓国語では「タバン」と言うようです。
テハンノ(大学路)の通りに面したハンニムタバンや、延世大学近くのなかなか高いビルに入居しているトッスリタバンや、ウルチロ(乙支路)のせせこましい路地の奥にあるコピニャハッパンなどは、「ソウル おとなの社会見学」で見つけたり、ネットの記事で探したりして、しらみつぶしに訪ねて行き、コーヒーとお菓子を堪能してきました。ただ、うっかりしていて、タバンの目玉とでもいうようなウルチロにあるウルチタバンという店には行かずじまいでした。痛恨の極みです。
ハンニムタバン、店内の様子
ソウルは異常にカフェの多い街です。2018年の年末に初めて旅したときには気づきませんでしたが、さして有名ではない地下鉄駅の駅前、例えば僕が宿をとった、ソウル駅の一つ先にある地下鉄4号線スクミョン女子大学の駅前でも、スターバックスが2店舗、メガコーヒーという韓国地盤のチェーン店が1つ、ア・トゥサム・プレイスというチェーン店が1つ、他にもテイクアウト専用らしきチェーン店が1つ、そして宿のすぐそばにもお洒落なカフェがある、といった具合に、カフェだらけです。
おかげで、東京ならどこでも混んでいて疲れるスターバックスが、客が分散するせいでソウルでは空いていて居心地がよかったりしました。
カフェが多いのは良いのですが、結論から言うと、レトロな喫茶店(韓国ではタバン)を楽しむには東京の方がだんぜん有利です。「ソウル おとなの社会見学」の大瀬さんによると、ソウルは東京以上に街の再開発が目まぐるしく進んでいるそうで、この前見つけた素敵な店や場所が次に行ったときには消えているというような変化の激しさがあるそうです。
事実、本を頼りに探したレトロビル(旧・味の素京城事業所)が、今回のゴールデンウィークでは見つけられなかった経験をしました。おそらく、取り壊されたのだと思います。
韓国の人はタバンのノスタルジーより、新しくてお洒落でwifiがさくさくつながるチェーン店の便利さをとるのかもしれません。あいにく僕はソウルの一部しか知らないし、釜山や大邱にはタバンがいろいろあるかもしれませんが、ソウルでこうなので、韓国の他の都市も同じかもしれません。
そうすると、東京はアジアでも稀な″レトロ喫茶店天国″かもしれません。香港には「地球の歩き方」に載るような有名店(フォンダガーフェイとか)がありますし、台湾にもいくつかあるようですが、数でみればおそらく東京がナンバーワンじゃないでしょうか。
中国もベトナムも廃止した元号を大切に残していたり、いまだにガラケーを使う人がいたり、タワレコやディスクユニオンやレコファンやバナナレコードなどのCDショップが健在だったりする日本は、古き良きカルチャーがよく保存される貴重な島国なのかもしれません。
トッスリタバンはビルの8階にある
曾野綾子という素晴らしい作家
曾野綾子さんの随筆集「人びとの中の私」(集英社文庫)を、昨日たまたま綱島の古書店で見つけて、購入しました。
以前から曾野さんの著作には関心を持っていましたが、読む機会はありませんでした。さっそく買ったその日から読み出したところ、まったくもって本当に素晴らしい。
この本は気軽なエッセイというよりも、裏表紙に″人生の書″などと書かれているように、曾野さん自身の思想、人生に対する本音、生き方についての考察を綴った24篇の、読者への真摯な語りかけといった趣のある本です。
曾野綾子さんはこれまで、直截で、ときに歯に衣着せぬ刺激的な発言をして批判を浴びることもあったらしいのですが、「人びとの中の私」に書かれていることの一つひとつは、僕にとってはまるで恵みの雨でもあり、まだ見ぬ厳しい師の言葉のようにも響いてきました。
クリスチャンで、夫は亡き三浦朱門氏。まだ一作しか読んでいないうちに言及するのもあれですが、考え方や文体から推すに、日本という風土にあってはやや異色の作家なのかもしれません。
「人びとの中の私」から少し抜粋して、ここに紹介したい気持ちもありますが、著作権を侵しそうなのでやめておきます。
ちなみに古本の奥付には、″昭和55年3月25日第1刷″とありました。僕が生まれる前に書かれたこの本が何の因縁でか手元にもたらされ、40年以上を経て、僕の心を揺すぶっているという、当たり前と言ってしまえばそれだけのことですが、そのことに僕は新鮮な感動を覚えました。
作家は、作品が世に出てからどれだけ時間が経とうとも、例え作家自身がいなくなろうとも、仮に世間から忘れ去られようとも、作品を通じていつでも、何度でも、読者の中に生き返ることができる―。『人生は短い。しかし、芸術の命は長い』という、たしか古代ギリシャの諺をふと思い出しました。
とにもかくにも「人びとの中の私」は、含意の深い、読む者が眼を見開かされるような書物です。
曾野さんは数多くの小説を執筆されているので、そちらも入手して読んでみるつもりです。
またお会いしましょう。
惨たらしい想像をする自分
たまに僕は、とんでもなく残酷で不吉でおぞましい想像をしてしまうことがあります。
例えば、ゆっくりゆっくりと道路を渡っているお婆さんが、道の角から突然滑り込んできた車にはね飛ばされてしまう―。夜中に突然かかってきた電話が、まさかの知人の不幸を告げるものだった―。建設工事が着々と進んでいたビルが、ある日急に傾き始め、轟音とともに粉微塵に崩れ去る―。
そんなことが起きることはまったく望んでいないのにもかかわらず、無意識のうちに勝手に、最悪なイメージを頭の中にこしらえてしまうのです。
いや、まったく望んでいないと言いながら、もしかしたら、実は僕がかなりサイコパスな人間で、刺激的なイベントとして、そういった惨たらしい出来事を心のどこか隅のあたりで期待しているのかもしれません。
サイコパス気質は多少あるにしても、しかし、こういう風に考えることもできるのではないかと思うのです。
誰だって不幸で悲惨な出来事が自分自身や身の回りで起きることは望んでいないけれど、だからこそ、そういうことが起きたときの嫌なイメージをあえて描くことで、想像の中に最悪な事態を封じ込めて、現実の中で起きないように回避しているのではないのか―、と。
変な例え方ですが、現実に不幸が起きないように想像の世界に肩代わりしてもらっているような、身代わりになってもらっているような、イメージによる予防、想像による厄落とし、とでも言ったらいいでしょうか。
お婆さんが車にはねられる想像を例にとると、実際に街中でお婆さんを見たとして、そのお婆さんが身体が不自由そうで動作が緩慢で、はたから見てハラハラするようであればあるほど、車に轢かれるというような最悪なイメージを浮かべてしまうのです。
似たような経験を持つ人はそこそこいるんじゃないでしょうか。僕だけが、残酷な思考実験(?)を無意識にしているのではない気がします。実は誰にでも心当たりのあることでないかと。
そう考えなければ、自分としてはちょっと辛いですね。
またお会いしましょう。
母親から聞かされた物語の記憶
いまでは普通に本で小説を読むことも好きですが、長い間、ラジオドラマや朗読を聴く方が好きでした。
小・中学生のときには、活字などろくに追っていませんでした。逆にストーリーを音でとらえると、すーっと物語の世界に入っていけたのです。文字を読むよりも、聴覚の刺激で鮮やかに想像が広がっていきました。
幼稚園生くらいの頃、寝床で母親から創作怪談を聞かされて震え上がり、怖がりながらも、何度も同じ話をリクエストしたことを覚えていますが、思えばあれがきっかけだったのかもしれません。
その物語は断片的にしか覚えていませんが、こんな話でした。
転校生の女の子がある日、突然に行方不明となってしまいますが、捜索の手がかりはまったく掴めない状況に。しかし、通っていた学校を調べてみると、下駄箱になぜかその子が履いていた靴がきちんと揃えられて残されていた―――。
耳だけが頼りの物語世界は蠱惑的でした。いま聴けばたぶん大したことのない、ラジオドラマの官能シーンも小・中学生の自分にはえらくエロく迫ってきたものです。
官能シーンをテープに録音して学校へ持って行って仲間うちで流したら、ちょっとした騒動になったこともありました。中二病の楽しい思い出です。
幸いいまは、古いラジオドラマや朗読の放送音源をYouTubeに上げてくれている人が何人もいて、いろいろと楽しめます。
TBSの「ラジオ図書館」で放送された、阿刀田高さんの傑作短篇集『恐怖同盟』からの抜粋三作がとても面白いので、リンクを貼っておきます。
ラジオ向けに脚色されていて、原作を読むとかなり手が加えられているのが分かるのですが、ともかく素晴らしいショートドラマ集に仕上がっています。
またお会いしましょう。