Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

2018-01-01から1年間の記事一覧

12月のソウル

景福宮(キョンボックン)先日の3連休に初めての韓国、ソウルへ行った。昼はそれほどでもないが、夜になると底冷えする寒さだった。泊まった宿はリーズナブルなホテルだったが、清潔で機能的でスタッフの感じもよかった。チョンノサムガ駅を拠点にし、インサド…

試論―″思う″と″考える″について

外山滋比古さんの″思考の整理学″を読み始め、色々と考えさせられている。ショーペンハウアーは「読書とは、他人の考えを自分の頭の中で展開させることだ」「本ばかり読む人間は自分の力で考える力を失っていく」という意味のことを書き残したが、読んであれ…

真言の発音について

真言は、日本では真言宗や天台宗をはじめ、浄土真宗を除く多くの宗派で唱えられている。念仏を専らとする浄土宗でも真言は用いられていて、「浄土宗のおつとめ」には霊前供養のときに唱える陀羅尼が記載されている。チベットでも、観世音菩薩の真言である Om…

マレーシア再訪

先月半ば、クアラルンプールへ四泊五日の旅をした。昨年のゴールデンウィークにバングラデシュへの行き帰りにトランジット滞在しただけだったマレーシアを、今回はしっかり味わうことができた。 チャイナタウンで旅の間、毎日よく雨が降った。昼頃になると空…

悪果を甘受することも大事

因果の理を説く言葉に「善因善果、悪因悪果」というのがある。字面の通り、良い原因が良い結果を招き、悪い原因は悪い結果をもたらす、という意味だ。仏教では輪廻転生を説くが、この輪廻こそ因果律に支配された最たるものだろう。せっかく人間界に生まれて…

街中で諸仏諸神にまみえて、思うこと

先日の夜のこと、ジムからの帰り道を歩いていると、駐車したワゴンから若い夫婦が降りてくるのが見えた。二人はすぐ近くの社の前に並んで立ち、深々と二拝二拍手一拝。そのお社は、日蓮宗のとある寺院の境内に祀られている¨子育稲成尊天¨。おそらく二人は、…

釈尊の教えに遇えた喜び

どういう訳か分からないけど、近頃、仏教の聖典に親しむようになった。岩波文庫の「スッタニパータ」を読み終え、いまは「真理のことば・感興のことば」を読んでいる。書店に入れば法華経を立ち読みし、家では「真言陀羅尼」(坂内龍雄 著)を紐解く、といった…

裸になろう

人間、生きているうちに、いろいろなものを背負わなきゃいけなくなったり、いろいろな関係を抱え込まなきゃいけなくなったりする。当然、息苦しくなる。一方で、実は人間関係が面倒くさいくせに一人でいるのは寂しかったり、大したことない自分の日常をSNSで…

音楽家と容姿について

巷では「顔には生き様が出て、体型には暮らしぶりが出る」ということになっているらしい。自分の顔のことは棚に上げて言うが、僕も、人間の内面はいやがうえにも顔に出てしまうし、性格の歪んだ人間の顔にはどこか醜悪なものがあると思っている。一方で、精…

ただ一向に念仏

僕は、家にいるときはもちろんのこと、歩いているとき、通勤電車を待つホームや会社のエレベーターの中にいるとき、トイレの中、ジムで湯船につかっているときなど、普段から、隙あらばいつでもどこでも¨南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏¨と念仏し…

マーラーあれこれ

年末から年始にかけて、吉田秀和の「音楽の光と翳」と「マーラー」を読んだ。吉田秀和の文章は、滋味深いというか、誠実な文の運びに独特のリズムがあって、すっと頭に入ってこない箇所がときにあっても、隅から隅までじっくり読んで味わい尽くしてしまいた…