Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

夢の話

人は毎晩、数多くの夢をみているという。ほとんど記憶に残らないのは、いちいちすべて覚えていたら脳がパンクするからだとどこかで読んだことがあるが、真偽は分からない。

僕もたまに、明け方頃にみた夢をうっすら記憶に留めていることがある。ストーリーらしいものは無く、断片的に奇妙なシーンがつながっていって、突然に終わる。

先日みた夢も荒唐無稽だった。体育館のような広い建物の中で他の人たちと一緒に逃げ回っていて、ふと見るとトリケラトプスが角を振りかざしながら追いかけてくる。パネルみたいな壁が角に突き破られて散って、みんなも四散していく。僕は押し入れのような場所へ避難すると、そこには大学のときの友達がいて、その友達がボタンを押すと押し入れはトリケラトプスが暴れまわるエリアから遮断されて一安心できる状況に。最後に「でかした、やったね!」といって一緒に喜ぶという展開。

誰の夢でも、それぞれに意味不明で荒唐無稽なのだろう。世界中の人たちの夢の話を収集して本にしたら面白いだろうと思う。似たような構想で出版された書籍もすでにあるかもしれない。

たまには僕も後味の悪い夢や辛い夢をみることがある。13年前に亡くなった祖母をいまでもたまに夢にみることがあって、そういう夢はたいてい悲しい雰囲気のものになってしまう。

でもなぜか、辛い夢でも、夢の中では懐かしさに似た奇妙な感覚があって、目が覚めると現実に引き戻されたことに気づいてがっかりする。あの、懐かしさに似たような安堵の感覚はいったい何なのだろうか。

人は死ぬとき、リアルなイメージ体験をするらしい。所謂、臨死体験というやつだ。それは夢のような曖昧模糊としたものではなく、この世での現実体験よりもよほどリアルで生々しい体験だと多くの臨死体験者が語っている。

命を終えるとき、ふだんみている夢の世界のような懐かしさに浸りながら逝くことができたら幸せだけれど、それよりもっとリアルなイメージ体験が待っているなら、怖い気もするし、楽しみでもある。