Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

シューマン、交響曲第三番

立春大吉から、はや三日目。昨夜の多摩川沿い散歩の途中、民家の軒先に白梅が咲いているのを発見しましたから、春の訪れもそう遠くはなさそうです。

ロベルト・シューマンが遺した交響曲は4曲とも好きですが、その中で第三番は、これから春先へ向かっていくいまの季節に耳を傾けるのに相応しい気がします。“Rheinische”(ライン、ライン河)という通称で呼ばれている有名曲です。

三寒四温ではなく六寒一温とでも言うような、まだ寒いけれども、朝の陽射しや昼の風の柔らかさ、草木の芽の膨らみに、春の兆しが嗅ぎとれるこのシーズン。

第一楽章は冒頭から、まさに、飛沫を上げて迸るラインの流れが眼前に立ち現れるような明るさと勢いを感じさせます。雪解けの水、いくつものその水源を束ねて山から流れ出した急流を彷彿とさせるようです。両岸には鬱蒼とした森が川面に落ちる日の光をときに遮りますが、それでもたしかに春の訪れを感じます。

第二楽章は、高原から平野へと流れを移したラインが、太い川幅をゆったりと味わいながら進むような雰囲気。日光をめいっぱい浴びて光り輝く草原、遠くに見える丘陵には牛や馬の群れ、遥か彼方には峻険な雪山が聳えています。この交響曲でいちばん知られている楽章かもしれません。

第三楽章は、第二楽章の穏やかさを受け継ぎながら、流れの豊かさはそのままに、まるで自らの来し方行く末をラインが黙考しているような表情も見せてきます。ラインの黄昏とでも言ったらいいでしょうか。

第四楽章は、重苦しく流れていきます。曇天に生暖かい風が吹き荒れ、何やら雨が降ってでもきそうな空の下、ラインは粛々と流れを継いでいきます。河岸にはいくつも大きな街があり、欧州人が豊かに暮らしています。ラインもそれを支えてきたのです。しかし、そんなことを気にかけてくれる人はいない。そんな風情のまま楽章は閉じます。

第五楽章は、一転して希望と活力を回復するライン。陽射しもまた出てきたようです。川面がきらきらと輝いています。元気よく、ヨーロッパを代表する河としての貫禄を振りまきながら、海へと流れ着いていきます。

名盤は色々ありますが、もしYouTubeで聞くならN響パーヴォ・ヤルヴィのコンビがライブで演奏した音源がいいかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=PEuM0c5U5W8

またお会いしましょう。

「まぁ、いいか」療法とその応用

黒丸尊治という方が提唱しておられる、「まぁ、いいか」療法というのがあります。

病気になると、治るか治らないかと症状ばかりが気になってしまいがちですが、そのこだわりをいったん捨てて、「まぁ、いいか」と受け流しておおらかに構えるようにすると不快な症状が解消していくという療法です(詳しくは黒丸先生の著書をご一読ください)。

心の中にある″こだわり″が身体の不具合やメンタル不調とくっついているので、「まぁ、いいか」と言って(口に出して自認するのが有効なよう)それを解き放ってやれば、軽快するそうです。

一種、″引き寄せの法則″に近いものを感じますが、黒丸先生はいくつも成功例を実績として持っているようです。

考えてみると、何かを気にしているうちは出口が見えてこない、こだわっている間は目標が達成されない、事例はいくつもあります。

例えば、つい先日まで読んでいた藤澤清造の小説世界もそうでしたが、お金に困っている人はいつも金策のことばかり気にかけています。

アイデンティティーを模索する企業は″我が社らしさ″を追い求めます。

お金持ちになったら、文字通りお金の心配は要らないですし、誰が見ても″あの会社らしい″個性が備わった暁には、その企業は″らしさ″探しを自然にやめているはずです。

無いときは無い物ねだりをするのです。

逆説的にと言うのか、そういったこだわりを「まぁ、いいか」とやりすごせると、病気に限らず、解決することがもしかしたら色々あるのかもしれません。

またお会いしましょう。

「只管」という方法論

曹洞宗の開祖、道元が切り開いた境地に只管打座(しかんたざ)というのがあります。

ただひたすらに座る、禅に打ち込む、というあり方です。それによって悟りに到ろうなどという下衆な思いはいっさい排除して、というよりもとよりそんな思いなど心に持たず、ただただ座禅する。

藤澤清造の短篇集を読んでいて「只管」の言葉に久方ぶりに触れ、ここにちょっと書いてみたくなりました。

英会話の大家に、國弘正雄さんという方がいました。同時通訳でも名を馳せた人で、もう亡くなられましたが、國弘さんが提唱した英語力強化、英会話上達のメソードに「只管朗読」というのがあります。

意味のよく理解できる一定の長さの英文を毎日毎日、何度も何度も繰り返して朗読することで、英語の音を自分の耳で聞き口を使って声に出して、頭と体に刷り込んでいくうちに自然と英語が身につくという方法論です。

簡単そうなメソードでありながら、同じ英文を毎日何十回も何百回も口に出せる人など実はほとんどいないそうで、実践できた人のみがその甘い果実を味わえるようです。ある意味で行、それもなかなかの苦行です。

考えてみると、繰り返し繰り返し行うことで達成できること、到達できる境地というのは実に多いです。

道元禅における只管打座は、何ものをも求めずにひたするに打ち座るという一つの絶対的なスタイルですが、考えることなく何かに打ち込むことがもたらすものは意外にたくさんあります。

語学、スポーツ、書、茶道、絵画、踊り・ダンスや音楽など芸事の習熟、禅以外の仏教の行もそうですし、商売、投資のほか、博打だってそうかもしれません。

嫌味半分で挙げると、いまや老若男女が長けているスマホの操作。あれも、ただひたすらにいじっているうちに体に染みついたものの一つでしょう。

少しインチキな中国語も交えて表現すれば、只管打手机(手机はスマホ)になるのでしょうか。ただひたすら手机に打ち込む、と。

只管打手机するうち、手机操作が芸術的なレベルにまで達し、寝ても覚めても手机、手机とももに人生があり、手机なしでは自分が成り立たなくなり、手机と自分が不可分になっていく。恐ろしいですね。そして実際、世界中どこでもみんなそうなっています。

只管○○を生かすも殺すも、自らに由るんですね。

またお会いしましょう。

ネット、SNS中毒は自己搾取

誰かから連絡がないかとついLINEを見てしまう。Instagram閲覧に延々と没入する。暇さえあればYouTube。ネットニュースを漁り続ける。

脳は常に何かへ意識を向けていないと退屈してしまいます。スマホはそこを狙ってつくられたと思われるくらい、一日中みんなスマホの画面に見いっています。日がな一日テレビを見ているのは老人だけと思いきや、テレビを見なくてもみんなスマホを見ているので、結局同じです。

以前と比べてYouTuberも稼げなくなってきているそうです。世界中でこれだけ間口を広げるだけ広げて、いちばん稼げる体制を盤石にしたのは結局Googleです。

同じように、Insta映えにうつつを抜かす世間から汁を吸い上げているのはメタ(Facebook)です。ネットニュースの1クリックはメディアの飯のタネになります。

SNSとかネットサーフィンは楽しいものですが、やり過ぎは自分の人生の切り売りにつながります。誰からも頼まれていないのに、自己搾取することは避けたいです。

またお会いしましょう。

「PLAN75」を観て

6月から上映されていたのをまったく知らず、今月になって初めて「PLAN75」という映画を観ました。ある方のブログで触れられていて知ったのですが、再上映の最終週に滑り込みセーフで観ることができました。

最初は平日の午後に半日休みをとって新宿ピカデリーで。二回目は今日、田端にあるシネマチュプキタバタというミニシアターで観賞しました。あまりに素晴らしかったので、二回にわたって観たのです。

75歳になると生きるか死ぬかを選択できるようになった近未来の日本が舞台。いっそうの高齢化が進み、若者が老人を襲う事件のシーンから始まっていきます。

2時間弱の作品で、重たいテーマが扱われているのですが、まったくダレることなく、最後まで緻密に構成されている点、まず見事だと思いました。

そして、俳優陣がまた素晴らしいのです。主人公の78歳、角谷ミチを演じる倍賞千恵子さんは、すべての所作がありのままを感じさせるように自然。老いた一人暮らしの果てに、PLAN75の申し込みへと揺れ動いていく姿に切なさが滲み出ています。けれど凛としていて、最後まで美しいのです。倍賞さんだからこそ、内容の重苦しさの中にも、ある種の爽やかさが醸し出された気がします。

役所の担当スタッフ役の磯村勇斗さんもとても上手い。特にセリフ回しが役にしっくり馴染んでいるように感じました。叔父との触れ合いをきっかけに、PLAN75の業務をこなしつつも、どこかやりきれなさを隠せない不安定感を演じきっています。

受け入れ施設で働くスタッフ役のステファニー・アリアンさん、ミチの女友達、ミチの担当スタッフを演じる河合優実さんなど、みな役者のレベルが高いです。

音楽もとっても良かったです。絶妙なタイミングで、作品をまったく邪魔せず、まさに湧き出るように流れる美しい音楽でした。

曖昧さを含んだまま映画は終わるのですが、ワンシーン、ワンシーンが、いちいち美しく、シリアスな内容ではあるものの、お涙ちょうだいにはまったくならずに、静かな波紋と余韻を残します。ちょっとフランス映画っぽい雰囲気を持つ邦画です(日本、フランス、フィリピン、カタールの合作とのこと)。

ここ数年で観た映画の中でいちばん素晴らしい作品でした。傑作です。

こんな未来は想像したくないですが、いつかは誰もが老いるし、僕もいつの日か高齢者になる日が来ることを思う一方で、社会全体がうまく機能して年齢問わず誰もが満足して暮らせるようになるには何が必要なのか、難しい問いを投げかけられた気がしました。

脚本・監督の早川千絵さんはこれからもっと大きく才能が開花しそうで、楽しみです。

またお会いしましょう。

新コロワクチン未接種でベトナムへ

9月21日から25日まで、ベトナムホーチミンへ旅行してきました。2年8カ月超ぶりの海外旅行でした。コロナ禍から脱却しつつある他国の状況を体感する、すばらしい旅になりました。

JAL機で21日01:25羽田空港発、タンソンニャット国際空港05:15着にて、無事にホーチミン入り。僕は新型コロナウイルスのワクチンの接種を一度も受けていないので、下調べは簡単にしていましたが、そもそも飛行機に搭乗できるのか、現地の空港で待ったがかかるのではないかなど、不安要素がいっぱいでした。

ちなみに、新コロのワクチンを打っていない理由は、アレルギー体質のため副反応が怖いこと、小学生のとき以来いっさいのワクチンを接種していないため懸念があること、mRNAワクチンの功罪が中長期で明らかになってからでもよいと自己判断したことなどです。

結果として、出発便には普通に搭乗。平日夜だったためか、搭乗率は3~4割ほどとガラガラでした。機内はマスクをしていないベトナム人の中年男性などもいて、わりとゆるい空間。タンソンニャット空港でも、いっさいコロナ関連について問われずあっさりと入国手続きが済み、早朝のホーチミン市内を空港からバスで中心部へと移動していきました。

ガイドブックを見ると、9月のホーチミンは降水量が東京より多くなっているのですが、幸いに旅行中はあまり雨が降らず、降っても短時間でやんでくれました。雲が陽射しを適度に遮ってくれ、雨が降った後には風が吹き抜け、そして、たぶん東京ほど地面がアスファルトで覆われていないせいか、ホーチミンは思ったほど暑くありませんでした。3年前の8月にハノイへ行ったときは、景色が煙って見えなくなるほどのすさまじい土砂降りに見舞われたことを思うと、天気に恵まれたことは本当にラッキーでした。

道中は、ドンコイ通り、チャンフンダオ像、オペラハウス、人民委員会庁舎、ホーチミン像、サイゴンスカイデッキの展望台、ベンタイン市場、聖マリア教会(改修工事中)、中央郵便局、統一会堂、マリアマン寺院、ブイビエン通り、美術博物館、サイゴン河を水上バスで遊覧、チョロンの華僑街では、チャタム教会、ティエンハウ廟、チョロンジャミィモスク、ビンタイ市場、マジェクティックサイゴンのMバー、髙島屋などあっちこっちを廻って、堪能することができました。


ホーチミンの人たちはわりと愛想が良く、たびたび素敵な笑顔を見せてくれました。社会主義国家だからあけすけな感情の発露は抑制されている(?)けれど、みんな素朴でそこはかとなく明るい印象。それから、当たり前と言えば当たり前でしょうが、フランス系と思しき白人の観光客を多く見かけました。かつての植民地の著しい経済成長を見て、自国の歴史を顧みながら、さぞ驚いていることでしょう。

バイクと車の激しい流れにクラクション、押し売りがいたり、ゴミが散乱していたりと、新興国ならではのよろしくない面もありますが、ホーチミンはとんでもなくエネルギッシュで、植民地時代の名残りは美しく、人が素朴でやさしく、今後の変貌がとても気になる素晴らしい大都会です。ぜひまた行ってみたいですね。


さて、帰国までの経過もここに書き記しておきます。

なんといっても僕はワクチン未接種者。本当に1回も打っていない人間です。日本へ再入国・帰国するには、ご存知の通り9月から、3回接種者は接種済み証明書を現地の空港と到着した先の日本の空港で提示すれば、基本的には特別な手続きなく入国ができるようになっています。一方で、1回、2回、0回の接種者はまったく別の扱いを受けるので覚悟がいります。

滞在した国が外務省の指定でどの区分かによっても違いますが、ベトナムは黄区分(中程度リスクの区分)の国になっていて、僕はそれ相応の対応を受けました。

僕の搭乗したJAL機では、羽田空港に着くと(06:55)まず日本人が先に降りるようにアナウンスがありました。降りたとたん、誘導係員の多いこと多いこと多いこと。紙を掲げ持ったり、身ぶりや口頭で、誘導していきます。

まず、簡単なQAに回答する入国検疫ファストトラックをスマホで事前にやっておく必要があったらしいのですが、それを忘れていて、未実施者として誘導された通路でQRコードを読み取ってスマホでQAに回答。そして次に、ワクチン3回未接種者として別ルートへ通され、最初に陰性証明書の提出を求められました。

現在、日本へ入国するためには現地出発前の72時間以内にPCR検査による陰性証明書を取得して提示する必要があります。ホーチミンの病院で受けた結果、幸いに陰性だったので、ベトナム語と英語の併記、そして日本語版の書類も紙でもらっていましたが、これは出国時にタンソンニャット空港でも隅から隅まで調べられましたね。

僕が陰性証明書を提示して押し問答している隣を、ワクチンを3回接種した人たちの長い列が冷ややかな視線を送りながらゲートの方へ向かうという、悲しい光景。陰性証明書を提示したら終わりと思っていたところ、階段を上がってまた別の広場へ向かわされ、今度はプラスチックのキットを渡されて唾液を採取されました。念のための再々検査ということでしょうか。

そして、入国者の健康と居場所を管理(というか監視)する My SOS というアプリの強制インストール。おばさまにインストール手順を説明されながら、悪気はないものの、一連の杓子定規というか強制的な扱いに、ちょっとイライラしてしまいました。

羽田空港での検査でも再度の陰性が証明され、晴れて帰宅はできたのですが、現在はまだ自宅待機中の身です。エスプラインというSARSコロナウイルス抗原キットをもらい、それで陰性の結果が出ていて、もう一度の検査で陰性となって、それを報告すれば、自宅待機は解除になる予定です。

ワクチンを3回接種していない人が日本へ帰国する手順をまとめると以下になります。
・出発する72時間以内に現地の病院やクリニックでPCR検査による陰性証明書を取得(証明書は紙でももらう方がベター)
・入国検疫ファストトラックをスマホで事前に済ませておく
PCR検査の陰性証明書を空港の係員へ提示(多少何か聞かれます)
・My SOS をインストール(位置情報やカメラなどをonにしアプリと連動させる必要あり)
・空港係員の指示に従って唾液採取による検査を受ける(結果が出るまで30分前後かかります)
・結果の通知を持って顔認証パス、税関へ


賢明なみなさんは、もちろんできればワクチンを3回接種してから海外旅行した方がよいとは思います。僕は、ある程度のリスクを予想しつつ、ワクチン未接種で日本へ帰国するとどうなるか知りたいこともあって、あえて今回のベトナム旅行を敢行した次第です。誰かにとって参考になれば嬉しいです。

またお会いしましょう。

変化を恐れる日本人?

今日は1945年の終戦から、77回目の終戦記念日となりました。

私は戦後世代であり、先の大戦における悲惨さを実体験として持っていないため、8月15日というのは語りにくい日です。というか、下手に語れない。ただ、子どものとき一緒に暮らしていた祖母が、終戦記念日になると昼の時報とともに黙祷していたので、私もそれを真似して一緒に黙祷していました。

大正4年(1915年)生まれの祖母は、関東大震災もリアルタイムで知っていた世代で(山形生まれで「東北も揺れた」と言っていた)、夫である祖父がフィリピンへ出征したこともあり、第二次大戦については個人的にもいろいろ感じるところがあったと思います。

一方で、戦後憲法に関しては、起草の経緯、戦力放棄をうたった内容、そして一言一句も書き換えられずに70年超が経過したという、世界でも非常に稀な、生きた化石のようなその有り方に、正直、いつも不思議な気持ちがします。そしてまた、憲法なんて実際のところ文章の集まりでしかないのに、国というものが、それに良くも悪くも拘束され規制されることにも妙な気がしたりします。それを法治国家というのでしょうけれど。

例の9条の問題以外にも、そもそも憲法を構成している文章が読みにくいとか、表現が古いとかを改めるべきでしょうし、日本の姿や国民の考え方、国際状況も70年前から大きく変わっているのですから、現状を踏まえつつ未来志向に憲法を大きく書き直すべきだと思います。

憲法改正というか、全部新しく書き直すくらいのことをやっていいと思います。それを現行憲法の破棄と言うなら、そうかも知れませんが、もっと良いものができる可能性はあります。

でも、例えば、いま今日の時点で改憲国民投票にかけたとしたら、僅差で否決されそうな気もします。野党のネガティブキャンペーンとか、レフトな新聞やメディアや団体による扇動、シルバーデモクラシーとかのせいで、ぎりぎり否決されそうな気がします。日本人は変わることを恐れます。

話が飛びますが、蒙古襲来や黒船の来航、大敗戦がないと、外圧がかからないと自らを変えられない民族なんだと思います。そうこうしているうちに、北朝鮮のミサイルが誤って(?)東京へ落ちたり、中国が沖縄へ侵攻したりしないことを祈るほかありません。

新型コロナがもう普通の風邪に成り下がっていて、東京でもマスク着用以外は以前と変わらない日常が戻っているのにみんなマスクだけは絶対に外さない、という現象を見ていても、やっぱり変わるのが怖いんだなぁという気がします。

実家の母親も、東京へ行きたくてもコロナが怖いからまだ行けないなんて言っていて、かなり呆れます。4回もワクチン接種しているのに、です。何のためのワクチンなんでしょうか。周りが打つから、テレビが言うから、打つ。しかし、その後のことは自分で判断できなくて、世間の動きに合わせる。我が母親ながら、こういう人たちが憲法を化石にしてきたんだろうな、という気がしないでもありません。

またお会いしましょう。