Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

変化を恐れる日本人?

今日は1945年の終戦から、77回目の終戦記念日となりました。

私は戦後世代であり、先の大戦における悲惨さを実体験として持っていないため、8月15日というのは語りにくい日です。というか、下手に語れない。ただ、子どものとき一緒に暮らしていた祖母が、終戦記念日になると昼の時報とともに黙祷していたので、私もそれを真似して一緒に黙祷していました。

大正4年(1915年)生まれの祖母は、関東大震災もリアルタイムで知っていた世代で(山形生まれで「東北も揺れた」と言っていた)、夫である祖父がフィリピンへ出征したこともあり、第二次大戦については個人的にもいろいろ感じるところがあったと思います。

一方で、戦後憲法に関しては、起草の経緯、戦力放棄をうたった内容、そして一言一句も書き換えられずに70年超が経過したという、世界でも非常に稀な、生きた化石のようなその有り方に、正直、いつも不思議な気持ちがします。そしてまた、憲法なんて実際のところ文章の集まりでしかないのに、国というものが、それに良くも悪くも拘束され規制されることにも妙な気がしたりします。それを法治国家というのでしょうけれど。

例の9条の問題以外にも、そもそも憲法を構成している文章が読みにくいとか、表現が古いとかを改めるべきでしょうし、日本の姿や国民の考え方、国際状況も70年前から大きく変わっているのですから、現状を踏まえつつ未来志向に憲法を大きく書き直すべきだと思います。

憲法改正というか、全部新しく書き直すくらいのことをやっていいと思います。それを現行憲法の破棄と言うなら、そうかも知れませんが、もっと良いものができる可能性はあります。

でも、例えば、いま今日の時点で改憲国民投票にかけたとしたら、僅差で否決されそうな気もします。野党のネガティブキャンペーンとか、レフトな新聞やメディアや団体による扇動、シルバーデモクラシーとかのせいで、ぎりぎり否決されそうな気がします。日本人は変わることを恐れます。

話が飛びますが、蒙古襲来や黒船の来航、大敗戦がないと、外圧がかからないと自らを変えられない民族なんだと思います。そうこうしているうちに、北朝鮮のミサイルが誤って(?)東京へ落ちたり、中国が沖縄へ侵攻したりしないことを祈るほかありません。

新型コロナがもう普通の風邪に成り下がっていて、東京でもマスク着用以外は以前と変わらない日常が戻っているのにみんなマスクだけは絶対に外さない、という現象を見ていても、やっぱり変わるのが怖いんだなぁという気がします。

実家の母親も、東京へ行きたくてもコロナが怖いからまだ行けないなんて言っていて、かなり呆れます。4回もワクチン接種しているのに、です。何のためのワクチンなんでしょうか。周りが打つから、テレビが言うから、打つ。しかし、その後のことは自分で判断できなくて、世間の動きに合わせる。我が母親ながら、こういう人たちが憲法を化石にしてきたんだろうな、という気がしないでもありません。

またお会いしましょう。