たまに僕は、とんでもなく残酷で不吉でおぞましい想像をしてしまうことがあります。
例えば、ゆっくりゆっくりと道路を渡っているお婆さんが、道の角から突然滑り込んできた車にはね飛ばされてしまう―。夜中に突然かかってきた電話が、まさかの知人の不幸を告げるものだった―。建設工事が着々と進んでいたビルが、ある日急に傾き始め、轟音とともに粉微塵に崩れ去る―。
そんなことが起きることはまったく望んでいないのにもかかわらず、無意識のうちに勝手に、最悪なイメージを頭の中にこしらえてしまうのです。
いや、まったく望んでいないと言いながら、もしかしたら、実は僕がかなりサイコパスな人間で、刺激的なイベントとして、そういった惨たらしい出来事を心のどこか隅のあたりで期待しているのかもしれません。
サイコパス気質は多少あるにしても、しかし、こういう風に考えることもできるのではないかと思うのです。
誰だって不幸で悲惨な出来事が自分自身や身の回りで起きることは望んでいないけれど、だからこそ、そういうことが起きたときの嫌なイメージをあえて描くことで、想像の中に最悪な事態を封じ込めて、現実の中で起きないように回避しているのではないのか―、と。
変な例え方ですが、現実に不幸が起きないように想像の世界に肩代わりしてもらっているような、身代わりになってもらっているような、イメージによる予防、想像による厄落とし、とでも言ったらいいでしょうか。
お婆さんが車にはねられる想像を例にとると、実際に街中でお婆さんを見たとして、そのお婆さんが身体が不自由そうで動作が緩慢で、はたから見てハラハラするようであればあるほど、車に轢かれるというような最悪なイメージを浮かべてしまうのです。
似たような経験を持つ人はそこそこいるんじゃないでしょうか。僕だけが、残酷な思考実験(?)を無意識にしているのではない気がします。実は誰にでも心当たりのあることでないかと。
そう考えなければ、自分としてはちょっと辛いですね。
またお会いしましょう。