Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

お祭りとヤンキー

先週、先々週、ちょっとしたご縁があって、逗子と横須賀の神社のお祭りに参加させていただいた。どちらも緑の豊かな地域で、勾配が多くてよく風が通る、気持ちの良い土地だった。神社で修祓式が執り行われた後、宮司、禰宜を先頭に、大勢の担ぎ衆に担がれた…

移民政策

少子高齢化が進んでいる日本は、そう遠からず総人口が1億人を下回り、限界集落はどんどん消滅。東京などの大都市圏を除いて、全国の街は老人だらけになって消費は縮小し、高齢者の医療費と年金の負担のために若者そして現役世代も経済的に苦しい状況に陥って…

ダッカへの旅 (4)

コムラプール駅はダッカの中央駅、とガイドブックなどには書かれている。しかし、中央駅とはいっても、大きめな駅舎があって人だかりがしているだけで、ショッピングモールがあるわけでもなく、観光案内所があるわけでもない。素朴そのものの駅だ。コムラプ…

ダッカへの旅 (3)

シャージャラル国際空港で入国審査にひっかかった僕は、軽いフライトの疲れを感じながら、ポリスがスーツ姿の男達と話し合っているのを眺めていた。そのうち、どうやら彼らがホテルの営業マンらしいと分かった。結局、ポリスの仲介によって、こちらと向こう…

ダッカへの旅 (2)

5月4日木曜日の夜、ダッカのシャージャラル国際空港に到着した。バングラデシュへの入国は、観光であっても商用であっても事前にビザを取得しなければいけないことになっている。しかし、観光であれば、空港でアライバルビザを即席取得できるらしいと聞いて…

ダッカへの旅 (1)

5月3日~9日までの休暇を利用して、バングラデシュの首都ダッカへ旅行してきた。15年以上ぶりの海外、そして初めての海外一人旅ということで、あり過ぎるくらいに色々なことがあったが、陰に陽に、自分の人生にインパクトを与えてくれることになりそうな素晴…

ブログ開設から1年が経ち

2016年4月にまったくの思いつきから始めた当ブログ、めでたく開設1年を迎えることができた。当初はがんばって毎日1本ずつ記事を書いていたが、だんだん間が空くようになり、ネタに事欠くようになり(笑)、いまでは月に2本ほどの記事をアップするくらいである…

アバドの¨太鼓連打¨

アバドがヨーロッパ室内管弦楽団を振ったハイドンの交響曲103番¨太鼓連打¨、これは本当に良いディスクだ。録音は¨95年3月・フェラーラ¨とあるから、アバドがまだ元気だった頃の録音になると思う。一楽章の冒頭、ティンパニがスカッと鳴り渡る。マイクがその…

嫌なことが起こったら

何か嫌なことが起こったとき、皆さんはどうしているだろうか。仕事で重大なミスをした。恋人に振られた。飼い猫が病気になった。洗濯物を外に干して出かけたら大雨が降ってきた。スパムメールが大量に送られてきた。風邪をひいたせいで楽しみにしていたコン…

新小岩の活気

去年のゴールデンウィークに訪れた新小岩のクラシック専門中古レコード店へ、一年ぶりに出かけた。お店に向かう前に新小岩の駅前をぶらぶらした。僕が住んでいるのは大田区の外れなのたが、大田区と葛飾区の街はやはり雰囲気が違う。新小岩に雰囲気が似てい…

少し危ない話‐方位(その1)

前回の記事でも触れた通り、ひと頃、方位を鑑ることにとても凝っていた。方位というのはつまり、高島暦などによく載っている¨五黄殺¨や¨暗剣殺¨などのよろしくないとされる方位を避け、¨良い方位¨へ出かけることで運気を上げようという、占い・迷信の一つと…

やっと新年が始まった気がする

以前、東洋暦をいろいろと調べ、方位だのなんだのを鑑ていたことがあるせいで、グレゴリオ暦での1月1日から新年という感覚にはどうもなじめない。陰が極まる冬至が大晦日でその翌日から新年、あるいは節分が大晦日で立春から新年というのが、個人的にはしっ…

全集盤を買うことの良さについて

クラシックが好きな人の中には、例えばモーツァルトのピアノ協奏曲全集やブルックナーの交響曲全集、プロコフィエフのピアノソナタ全集など、あるジャンルの全集盤CDやレコードを買い集めて聴き比べる喜びを知っている人も多いと思う。いまはただでさえCDが…

銭洗弁天へ初詣に出かける

7日土曜に鎌倉の銭洗弁天へ初詣に行った。今年初めての神社参拝、かつ銭洗弁天に参じたのも初めてで、二重の意味で初詣となった。國學院の大学院で神道学を修めた知り合いが、ここで正月に臨時で働いていると聞き、遊びがてら来たのだ。鎌倉駅前は相変わらず…

40分間あれば

昨年末、「バレンボイム音楽論」を読んだ。バレンボイムは13歳のときにスピノザの「エティカ」を読み、それ以来スピノザから大きな影響を受けているという。「バレンボイム音楽論」には、エティカから引用した記述があちこちにあるだけでなく、コンサートの…

音の公害

僕は音に敏感なたちで、巷に溢れているあれこれの音に苦痛を覚えることがしばしばだ。電車内だとアナウンスの音、くしゃみや咳払い、やたら大きな声でしゃべる人の声、携帯音楽プレイヤーの音漏れ。中でも車内アナウンスはかなり不快だ。やれ遅延のお詫びだ…

あらためて、「感謝する心」の大切さ

現代の日本のような社会に生まれて、生きていると、「感謝する心」というのはなかなか育ちにくいのだろう。自戒もこめて、ふとそんなことを思った。当たり前のように住む家があり、食べさせてくれる人がいて、コミュニティもある。治安もいい。教育も施して…

バレンボイム、素晴らしいじゃないか!

ずっと気になっていたboxセット、ダニエル・バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェン交響曲全集を買った。実はこの全集、Youtubeに音源がすべてアップされていたので事前に少し聴いてみたのだが、その素晴らしさにびっくり。渋谷のタ…

音楽の「深み」とは何だろう(2)

ただし、音楽はある面からみれば「ただの音響」である。ここが難しいところだ。誰が演奏した音楽であろうと、鳴っている音、いままさに耳に届いているそれは音響に過ぎない。そして、音は、ある周波数を持った空気の振動が鼓膜に達し、脳がそれを感知したも…

音楽の「深み」とは何だろう(1)

クラシック音楽の評論を読んでいると、「深みのある響き」だとか「深みに乏しい演奏」だとかいう文章にしばしば出会う。「深い」音楽は良きものである一方、音楽が「浅い」というときには、それを書いた作曲家やその演奏者が、ある種の力量に不足しているこ…

大人になるということは

喫茶店に入って文庫本を読む。いつも通りの週末の過ごし方。今日入った京急蒲田の喫茶店は客席と客席の間が狭く、聞くつもりはないのに隣の客のお喋りが耳に入ってきて、読書に集中するのに苦労した。こんなとき携帯音楽プレイヤーは重宝するんだろう。聞く…

音楽小辞典をめくる

音楽評論家の吉田秀和氏が書かれた文章を読んでいると、音楽用語がわりと頻繁に出てくる。楽譜が読めない人には分かりにくい表現が登場したり、ときには譜例が引用されていたりもして、難儀することもある。これは、言わんとするところを正確に読者に伝える…

散文的な秋の始まり

例えば都内でも、高尾山や奥多摩の方には秋の気配がしっかりと届いているのだろう。あいにくトレッキングや登山の趣味がないので、そこら辺は想像の域を出ない。僕の住む区は今日は一日、残暑と初秋の空気が混じり合ったような微妙な陽気だった。夕食をとろ…

アンドラーシュ・シフのパルティータ

秋雨前線が居座り、台風も近づいてきて、今晩は都内でも雨がよく降っている。基本的に雨は好きではないけれど、雨がしきりに降ると大気中の塵や埃が洗い落とされ、空気が澄みわたりそうな気がして、傘をさして歩いていると思わず深呼吸したくなることがある…

リッカルド・シャイー

リッカルド・シャイーを初めて聴いたのは、中学生のときだった。シャイーがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音したストラヴィンスキーの¨ペトルーシュカ¨と¨プルチネッラ¨が新聞のCD新譜評で取り上げられているのを読み、いそいそと買いに行ったので…

心を鎮めることは大切

このブログではなるべくネガティブなことは書かないようにしているが、今日はその禁を破ってネガティブなことを書いてみる。ここ2、3日、なんだか気持ちが落ち着かない。というか、かなりむしゃくしゃする。仕事のストレスもあるし、アパートの隣の部屋に住…

「男はつらいよ」を観る楽しさ

渥美清が主演した「男はつらいよ」シリーズを観続け、とうとう36作目まできた。何気なく1作目のDVDを借りてきて観たら、想定外(失礼)に面白く、どうせなら全48作を観ようと思って借り続けている。寅さんが柴又へふらっと帰ってくる→おいちゃん、おばちゃん、…

今日もコーヒー中毒

コーヒーがとにかく好きだ、という人は多いと思う。僕もそうで、平日は毎朝必ずセブンイレブンのセルフドリップ式アイスコーヒーを買って飲む。朝食は絶対に食べないけれど、コーヒーを欠かしたことはない。常識的には朝ごはんも食べずに空きっ腹にブラック…

トゥーランガリラ交響曲

先日タワレコで買ってきた中の一枚、メシアンのトゥーランガリラ交響曲を聴いた。小澤征爾とトロント交響楽団による1967年の録音。トゥーランガリラ交響曲は、名前だけは前々から知っていたが、曲自体は初めて聴く。楽章というか独立した部が10もあり、この…

衝動買いと土用シーズン

日用品以外で普段買うものといったら、僕の場合は本、CD、レコードくらいしかない。服は色褪せてもまだ着るし、靴も中敷きが擦れ底が減っても履き倒す。仕事用の革靴も十二分にくたくたになっているけれど、気にせず履き続けている。ただ、その革靴の使用も…