Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

「父の日」に思うこと

「父の日」が近いらしい。″らしい″というのは、その日がいつなのか正確に知らないからだ。もちろん「母の日」がいつなのかもよく知らない。

会社の近くにある花屋の店先に貼られたポスターに″Father's Day 6.20″と書かれていたのを見かけ、そうか今年も父の日やら母の日やらがあるんだなぁ、と思った程度だ。

まったく自慢にならないが、これまでにただの一度も「父の日」や「母の日」に贈り物をしたことがない。知り合いに、毎年欠かさず「父の日」「母の日」に両親へプレゼントを贈る人がいるが、僕は「父の日」「母の日」どころか、両親の誕生日すら正確に記憶していない。こんな薄情な息子はいないと思われているかもしれないが、反論はできない。

「父の日」や「母の日」に贈り物や両親へ電話をしたりしないのは、一つには、なにかそういった商業ベースのイベントに乗せられているような気がして、嫌な気がするからだ。

親に感謝したくても気恥ずかしくて仕方ない人がそういった日を利用して気持ちを伝えられるようにという社会的な配慮もあって、「父の日」「母の日」がもうけられたということもなんとなく理解はできる。

ただ、僕はこれからも「父の日」「母の日」はスルーしていくだろう。ある年から突然、贈り物や電話をし始めるようなことも嘘くさくて、もうできない。

別に両親と仲が悪いわけではない。たまに電話をかけて声を聞くことはあるし、親からも電話がかかってくる。両親はすでに70代後半にさしかかっていて、親父は体調が芳しくない。もちろんそのことはいつも気にかけているし、実は毎日、親父が健康になるよう真剣に祈ってもいる。

僕は「父の日」「母の日」に何するでもないし、滅多に帰省もしないし、結婚もしていないし、両親が期待していたようなことは何もできていないだろう。きっと期待外れの息子に違いない。

育ててもらったことにはとても感謝しているし、両親にはいつまでも元気に暮らしてほしいと思っている。でも今後もきっと、「父の日」や「母の日」などはスルーするし、僕の両親への淡泊な対し方は変わらない気がする。

両親が本当は何を思っているかは分からないし、僕がどう思っているかも両親には分からないだろうけれど、それでいいのだと思う。現状が一つのリプライになっている。