Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

立花隆さんのこと

ジャーナリスト・評論家の立花隆さんが今年の4月末に亡くなられた。訃報の報道は6月に入ってからで、その死はなぜかしばらくの間伏せられていたようだ。

僕は高校生から大学生にかけて、立花さんの著作の数々を読み、雑誌への寄稿を読み、テレビでその発言を聞き、多大な影響を受けてきた。物書きとして暮らしたいと密かに淡い願望を抱いたのも立花さんに感化されたからだった。「エコロジー的思考のすすめ」「宇宙からの帰還」「文明の逆説」「青春漂流」「臨死体験」「立花隆の同時代ノート」「ぼくはこんな本を読んできた」「アメリカ性革命報告」「脳を鍛える」「脳を究める」などなど、どの本も夢中になって読んだ。

憧れが嵩じて、文京区にある立花さんの仕事場、通称・ネコビルを見に出かけたこともあった。「天皇と東大」出版記念のサイン会が池袋のジュンク堂で催されたときにも出かけ、生で立花さんの話を聞いて、サイン本も入手した。生で見た立花さんは、テレビで見るのと同じ飾らない風貌と好奇心満載の語り口で、サイン会は、ちょっとした立花ゼミさながらの雰囲気と知的熱気に包まれていたように思う。

「人類社会は人間の知的欲求によって突き動かされていて、知の構造変化がすべての変化をもたらす」ということをよくおっしゃっていた。

曰く、ネコは知らない場所へ連れて行かれるとあちこち歩きまわって匂いを嗅いで新しい環境を知ろうとする。アメーバだって、シャーレに入れられると触手を伸ばして探索を始める。原始的な知的欲求は生物ならどの種も持っている-。地球の外に宇宙空間という未知のフィールドが広がっているときに、宇宙探査をカネと労力がかかるからと言って逡巡するのはナンセンス。広大なサバンナを目の前にして安楽な森林での生活を捨ててサバンナに繰り出して行って進化を遂げたのが我々の祖先にあたるサルなのに、宇宙探査をコストパフォーマンスの点から論じるのは、森林にとどまったサルと同じだ-。

本当に頭をガーンとやられた気がした。

立花さんの物書きとしてのモットーは「一冊の本を書くためには100冊を読む」だったという。「ぼくはこんな本を読んできた」にも、新しい仕事に着手するたびに、本棚がいくつも埋まるほどの本や資料をまず買い込んで片端から読んでいくという読書スタイルが披露されていた。インターネットの発達によってコピペやまた聞きの言説が溢れ返ってしまっている現代において、立花さんの示された覚悟を戒めにしなければいけないとつくづく思う。

ご冥福をお祈りします。これからも著作を読み続けます。