Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

産出力

世の中では、何かを新しく生み出す人が持て囃される。

会社を興して成長させる人、卓抜な論文を書いて新しい知識をもたらす人、素敵なデザインをつくる人、新しいサービスを考案する人。世間は常に新しい価値を求めていて、社会がその恩恵に与れれば価値を生み出した人は称賛される。学問の分野で言うと、ノーベル賞なんかが分かりやすい。そして、産業界ではアントレプレナーである。

逆に、何も生み出すことのない人は、いわゆる普通の人として生きていかざるを得ない。良い悪いは別にして世の中はそうなっている。もちろん、日々の仕事を通してみんなそれぞれ価値を生み出しているはずだし、それがために代価として給料を受け取ってはいるが。

ネットの世界でも、SNSでフォロワーを稼ぐ人やYoutuberで価値をもたらす人がいて、そういう人たちは人気ブロガーや人気Youtuberになっている。ただ、本当に評価されるのは、例えばInstagramを考案した人であり、Youtubeの仕組みそのものをつくった人だろう。そうしたプラットホームがあるから、ブロガーやYoutuberはフォロワーを集めることができる。

価値ある新しい何かを生み出せる力を、ここでは勝手に「産出力」と呼んでみたい。産出力を持つ人は世の中にいままでにない喜びをもたらすし、社会を変え、時代をリードする。

産出力を持つ人と持たない人とでは、いったい何が違うのだろうか。

例えば、未知の世界を探求したいという想い。世の中に貢献したいという志。または、世間の注目を浴びたいという自意識――。どれもが産出力に結びついていきそうな気がする。しかし、それらは誰しもが持ちうるものだろう。そうした想いや志があっても、必ずしも産出力の発揮には至らないことも多い。

産出力は、消費よりは生産、享受よりは提供、追随よりは先導する、大いなる力。そして、時代精神を感じとる力であり、大衆の声なき声を聞きとる力であり、社会の無意識に形を与える力であり、先を見る力だ。あるいは、盲目的な衝動に自ら従うことのできるある種の特異な感性、かもしれない。

産出力の有無は、結局のところは生まれながらの気質や人間のタイプに左右されるのだろうか。はたまた、遺伝子によるものか。神に選ばれし者だけが、産出力に与ることができるのだろうか。

僕などは、産出力の豊かな人たちを見るにつけ、我が身の凡庸さを嘆くしかない。そして、産出力に恵まれた人々はいちいちこんなことを考えたりはしないだろうとも思うのだ。