Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

音の色

音楽評論家の中野雄がある本の中で、シャルル・デュトワ指揮モトリオール交響楽団ボレロを「極彩色」と評していた。確かにカラフルな演奏ではある。クラシック音楽評論の世界ではこの手の表現、「極彩色」だの「色彩感覚あふれる」だの「光彩陸離たる」だのがよく使われる。クラシックを聞き始めた中学生のころ、ライナーノーツに「色彩豊かな」と書かれているのを初めて読んだときは何のことやらさっぱり分からなかった。音楽が色彩豊かってどういうこと?と単純に思ったわけだ。いまではそうした表現に慣れきってしまったけれど、考えてみれば、そもそも「音色」という言葉も不思議な言葉だ。通常の感覚からすれば、音(聴覚)と色(視覚)は独立しているはずなのだから。ある音を聞くと特定の色を見るという色聴現象が存在するのは、立花隆の「臨死体験」で読んで知った。詩人のランボーには色聴の体験があったらしい。色聴は専門的には共感覚と呼ぶらしいが、色を見ると匂いを感じたり、逆に匂いをかぐと色を感じるという共感覚もあるそうだ。フランス印象主義のCDの帯なんかに「パリの香り」が云々とか書かれているのは単なるレトリックとしても、色聴を生じる人はそれなりの数いるのかも知れない。でなければ、単なる文学的レトリックだけで音楽評論の世界にこれだけの視覚的表現が紛れ込んでいるのは理解しがたいと思うのだが。