Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

リッカルド・シャイー

リッカルド・シャイーを初めて聴いたのは、中学生のときだった。シャイーがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音したストラヴィンスキーの¨ペトルーシュカ¨と¨プルチネッラ¨が新聞のCD新譜評で取り上げられているのを読み、いそいそと買いに行ったのである。操り人形を描いたカラフルなジャケットの印象とともに、冒頭から色彩豊かな管楽器群が飛び出してくるペトルーシュカの音響は、僕の心に強いインパクトを残した。クラシックにもこんな楽しい曲があるんだ、と心が躍ったのを思い出す。

それからしばらく経ってから、中古店でシャイーが振ったマーラーの4番を買い、聞くことになった。マーラーの4番はそれまでにケーゲルの盤を持っていたのだが、シャイーが繰り出す音はケーゲルのとはかなり違っていた。まず、最初に鳴り響く鈴の音が、シャイーの盤では実にきらびやか、涼やかで鮮烈なのだ。きらびやかに聞こえるのは、世界に冠たる録音技術を誇るデッカの盤だからということもあるとは思う。しかし、美音の大海に身を浸してみると、シャイーという指揮者が、一音たりともおろそかにすることがない真摯な音楽づくりを志していることが伝わってきた。

シャイーとコンセルトヘボウのコンビでいえば、ブラームス交響曲全集、マーラーの1番、ブルックナーの8番など、どれも音が明るく、アンサンブルの純度は素晴らしく高く、美麗の限りを尽くして天上世界を垣間見せるような名演揃い。クリーヴランド管との¨春の祭典¨も、野性味という点ではいま一歩な感じはあるものの、現代オーケストラの上手さをフルに示した点で文句のつけようがない。Youtubeで聞いたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とのブランデンブルク協奏曲も、楽しく、軽やかで、こんなバッハもありえるのかと驚かされた。

シャイーはイタリア人だから、ラテン気質が音楽にも出てくるのだと解説している人があったが、基本的にシャイー自身が根の明るい人間なのだろうと思う。振る人間が変われば、出てくる音もまったく変わってくるのだ。それを堪能するのがクラシック音楽観賞の楽しみである。