Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

サイエントロジーのビル

大久保から新宿にかけて歩いていたらサイエントロジーのビルを見つけた。サイエントロジーはアメリカ発祥の新興宗教団体だ。トム・クルーズが入信していることで知られている。¨SCIENTOLOGY¨と大書された看板を見たとき一瞬我が目を疑ったけれど、間違いなくあのサイエントロジーだった。清潔で明るくて広いロビーはまるでホテルのロビーか高級カーディーラーのフロアのようで、宗教のにおいがせず、心理的な抵抗を感じさせずに市民生活に根をはっていくには相応しい建物のように思えた。日本に上陸しているのには少し驚いた。新興宗教というと色眼鏡で見られがちだが、いまあるどの宗教も当初は新興宗教だったのだ。キリスト教も新興宗教だったがゆえに激しい迫害を受けた。創価学会はすでに新興宗教ではないのだろうけれど、あくまで教勢を拡大していこうとするパワーは新興宗教のようだ。小学校からの友人に創価学会の信者がいる。かなり熱心な信者で、日頃の唱題を欠かさず、休みの日には青年部の活動に精を出しているそうだ。信仰心が表にも表れるのか、彼はやはり独特の雰囲気をまとっている。一言でいえば前向きだ。会うと、人間の価値というものに絶対の信頼を置いて生きている姿勢がよく伝わってくる。私の実家は専修念仏の浄土宗だから、創価学会とは教義の上でまったく相容れない。彼らによると、念仏は無間地獄に堕ちる業だということだ。はぁそうですかと返す他ないが、他宗を排撃しがちな悪い癖に眼をつぶれば、この世を力強く生き抜く信仰体系としては創価学会は有効なんだろうという気はする。私はあくまで念仏に救われるが。サイエントロジーでも創価学会でも何でもよいけれど、「私は無宗教」とさらりと言ってのけて正月は初詣に行きクリスマスを堪能するような空っぽな人よりは、何かしらの信仰を大切にしている人の方が私は好きだ。少なくとも語るに足る相手になってくれる気がする。信仰を持っている人の方が精神的に豊かなんじゃないだろうか。人間は弱い生き物なのだから、最後の最後には神や仏にすがる他ないのが自然だし、そうした生き方こそヒューマンなあり方なんだと思う。一人一人の人間に終わりがあるように、人類にも寿命があるし地球にだって終わりがくるのだ。だからこそ、この生を生き抜き、神なき世界に人間の力を開花させるという思想もあるだろうけれど、私はそれではちょっと淋しい。神や仏を拒絶するのでなく、ときには力を借りにいくくらいの余裕がある人間の方が、よりよく生きられると思う。