Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

音楽家と容姿について

巷では「顔には生き様が出て、体型には暮らしぶりが出る」ということになっているらしい。

自分の顔のことは棚に上げて言うが、僕も、人間の内面はいやがうえにも顔に出てしまうし、性格の歪んだ人間の顔にはどこか醜悪なものがあると思っている。

一方で、精神に気高さのある人間は、顔立ちにも美しさがある。これは単に、いわゆる見た目で美人、美男かどうかといったレベルの話ではなくて、外見にある種の荘厳さ、立派さや豊かさが感じられるかどうかで、いわゆるブスや醜男に属する人達でも、内面の良さが容姿に滲み出ている人はいる。

ひるがえって、音楽家の容姿はどうか。まず思いつくのは、カラヤンだ。整髪料できっちり整えた髪、涼しげな目元、小柄ながらも締まった身体つき、耽美を結晶化させたようなタクトさばき等々、カラヤンの見た目というのは、彼が紡ぎ出した壮麗かつ甘美、流線型の音楽とあわせて考えると、こういったものを表出させる精神がカラヤンに間違いなくあったことを明白に語っている。

マタチッチは、指揮ぶりも見た目も洗練とはほど遠いが、そのスケールの大きい音楽に照らしてみると、よく分かるものがある。マゼールの顔つきは、彼がきわめて頭のキレる指揮者だっただけに嫌らしいくらい自信たっぷりだし、ハイティンクはまさに中庸そのものの容姿。僕には意地悪な数学教師のようにしか見えないセルの演奏は、端然かつ精緻、玄人受けはする。

また、デュトワは根っからの女好きが分かる顔だし、ブロムシュテットは菜食主義で敬虔なクリスチャンだというのが紳士然たる顔立ちに出ている。ドホナーニには、クールな音づくりを頷かせるニヒルさが漂っている、うん。

ピアニストについて言っても、アルゲリッチは見るからに女傑だし、ブレンデルは学者、シフは器用な雰囲気をまとっている。ポゴレリチは、やはりちょっと神経質そうだ。

現代のフルトヴェングラー、ピアノも指揮も一流のバレンボイムはどうだろうか?

バレンボイムは若い頃はなかなかの美男子だったと思うが、ベビーフェイスなのが災いして(?)75歳のいまは妙にギラギラした顔つきになっている。バレンボイムの場合、彼が示す濃厚な表現とあの風貌とが何となく一致する気はするが、あまり関係ないかも知れない。

ところで、なぜかバレンボイムのCDやレコードには、彼の写真があしらってあるものが多い。それも、いかにも手抜きといった感じのデザインで、不気味な彼のスマイルだけが強調されているようなものが目立つ。日本でバレンボイムがあまり人気がないのは、ここら辺にも理由の一つがあるような気がしてならないのだが。

楽家が若くて綺麗だったりイケメンだったりするだけで、才能とは関係なく無闇に飛び付く人が多い日本は、バレンボイムにとっては不利な国だったのかも知れない。