Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

少し危ない話‐方位(その1)

前回の記事でも触れた通り、ひと頃、方位を鑑ることにとても凝っていた。方位というのはつまり、高島暦などによく載っている¨五黄殺¨や¨暗剣殺¨などのよろしくないとされる方位を避け、¨良い方位¨へ出かけることで運気を上げようという、占い・迷信の一つとされるアレのことである。

占いやオカルトの類に眉をひそめる人にとっては、そういうものに真剣に取り組む人間は間違いなく「頭のおかしい奴」だ。しかし、ハマっている当の人間にとっては、そういう観念の世界をいったん自らつくり上げてしまうと、それが真理そのものになる。そして、身の回りに起こることすべてがその観念体系の中できれいに解釈できるような気になってきて、ますますハマることになる。僕が方位にとことん凝っていたときの内面は、まさにこれだった。

占いや迷信を宗教と比較すると、ファクトを抜きにして一つの物語を信じる(信じられる)ことで成り立つ点が共通している部分だろうと思う。宗教と占いが同じものかと言えばもちろん違う。ただ、普遍性のない非合理な思考がすんなり受容されるのが占いと宗教の世界だろうとは思う。

通常、いわゆる宗教というものには魂の救済が用意されている。一方、占いにそれがないのかと言えばこれはちょっと難しい。占い師の元へ足繁く通って悩みを打ち明け、あれこれと託宣をもらって心の安定を得ている人はかなりの数いるだろう。そういう意味では、占いだって魂の救済にいくばくかは役に立っているのだ...。僕はそこら辺についての専門家ではないので、これ以上の言及は避けることにしますが。

前置きが長くなったけれど、今回から数回に分けて、僕が方位に文字通りハマっていた頃のことについて書いていきたい。前置きで書き疲れてしまったので具体的な話はその2で書こうと思う。