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Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

何に突き動かされるか

平穏無事な毎日が続いている。もちろん僕の毎日が。平穏無事というよりむしろ平凡無事と言った方が適当かも知れないが、無事に生きていられることをありがたいと思う一方、自分は何に突き動かされて生きているのだろう?とふと考えたりもしている。生きる目的なんてなくても死ぬまで生きるのが人生だ、というのも一面の真実だと思う。そもそも僕も含めて世の中の人たちの大半は、最終的には食べるために仕事をしてお金を稼ぎ、家族を養い、骨休めのような老後を過ごして、いつしかこの世から退場していく。¨生の衝動¨みたいなものをいちいち感じて生きているわけではないだろう。でも、人間というのは因果な生き物だ。まったく何もすることがないという状態には耐えられなくて、何かしらすることを見つけてきては精力を注ぎ込む。仕事、勉強、スポーツ、芸術、交遊、恋愛、セックス、グルメ、旅行、ボランティア、研究、信仰、政治 etc. なんだってそうだ。ごく卑近な例として、電車の中で手持ち無沙汰な人がみんなスマホをいじっていることからも明らかなように、何もすることがないのは人間にとって大変苦痛なことなのだと思う。そもそも人間の脳がそのようにできているのだろう。瞑想を試みても次から次へと雑念が涌いて出てくるのもそれで説明がつく気がする。私の知り合いにも、なんだかよく分からないけれどいつも忙しくしているのが好きな人がいる。さて本題に入るが、生きていく上で「何に突き動かされて生きるのか」というのは非常にクリティカルだ。ある人にとっての生の衝動とは、大金を稼いでいい女と一緒になってリッチに暮らしたいという欲求かも知れないし、またある人にとっては、偉大な仕事を成し遂げて後生に名を遺したいという野望が生の衝動かも知れない。大好きなペットを心から愛して一緒に生きていくのが最大の望みという人もいるかも知れない。実は誰にでも、無意識のうちにその人の生を根底から支えている衝動というのがあるような気がする。昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日であるというような状態がただ続くだけでは、人間は根本的に壊れてしまうだろう。平凡な毎日が続いているだけのように見えても、心の奥深くに潜り込んだ衝動が隙を見ては人生にちょっかいを出してくるはずなのだ。自分の本当の生の衝動が頭をもたげても、それを無視したり、圧殺したりしていると、人生そのものがいつしか歪んでくる。僕自身に照らしてみても、自分の生の衝動って一体なんだろう?と近頃、妙に考えるようになっている。