Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

上海は楽しい

11月3日から2泊3日という弾丸で上海へ旅をした。先月は初めて台湾へ行ったが、今回は初めての中国。

往復の飛行機は中国東方航空。このエアライン、あまり評判がよろしくないようで、「機内食がゲロまず」「中国人旅客がギャーギャー騒いでいる」「通路で子供がオシッコ」などネット上では惨憺たる悪評を受けていたので心配していたが、機内食はまぁ美味しくはないけど普通に食べられるし、中国人は特に騒いでいなかったし、通路で排尿する子供もいなかった。

乗ったとき、シートや床にゴミが少し残っていたり、エコノミークラスでは映画を観るディスプレイがなかったりと、不満もないこともなかったけれど、贅沢言わなければごく普通のエアラインだと僕は思った。

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さて、上海。まず向かったのは、旧フランス租界の衡山路・徐家匯。衡山路駅を下りて地上に出ると、なんだか靄がかかっていて、まだ昼過ぎなのに夕暮れのようにあたりが黄色い。噂に聞くPM2.5による大気汚染なのか不明だが、若い女の子や外国人(白人)はガスマスクのような黒いマスクをつけていた。

しかし、プラタナス並木と石畳、フランス式(?)建築が立ち並ぶ街中は本当に風情満点!素晴らしい雰囲気だ。武康大楼という有名な西洋風建築のある武康路をひたすら北上していくと、プラタナスの枯れ葉が舞い、PM2.5による霞がムードを盛り上げて、行ったこともないパリの通りを歩いているような気分に浸ることができた。

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上海でいちばん面白かったのは、市中の公園。魯迅公園と復興公園という二つの公園へ行ってみたが、年配の男女が、楽器を演奏したり、太極拳をしたり、玩具を売ったり、大勢でコーラスをしたり、社交ダンスをしたり、釣りをしたり、将棋をさしたりと、まぁとにかく陽気に元気に、おもいおもい活動していて壮観だった。中国は老人が元気、というのを実感した。

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他に上海で驚いたのは、奇抜なデザインのビル。捩れた形のガラス張りの高層ビルや、炭酸の泡のような無数の光が壁面に絶えず明滅する巨大ビルなど、まず日本では見られない変わったデザインのビルが あった。庶民の住む低層住宅ひしめく界隈のすぐ向こうにそうしたビルが聳え立つ光景が、変貌し続ける上海を象徴しているようだった。

中国は玄空飛星派などの風水の本場だ。でもきっと、大半の宅地の造成やビル開発などは風水など考慮せず行っているだろう。僕が見た限りでは、そう思われた。宅運がこうで旺気をここからとり込んで、なんてやっている余裕はないし、そもそもそんなもの鼻にもかけずひた走る人民のエネルギーがあった。

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台北へ行ってみた

10月6日から10日にかけて、初めて、台湾は台北へ旅をした。

着いた晩にMRTに乗ったが、運行の正確さ、車内の清潔さ、そして安さにもびっくり。乗客のファッションも非常に洗練されていた。

小雨が降りしきる蒸し暑い街中を歩けば、東京とまったく変わらない、いやもしかするとそれ以上の面もありそうな発展ぶりにまたびっくりした。

以前、クアラルンプールに行ったときも感じたことだが、東京はもはやアジアの主要都市にキャッチアップされてしまっているとあらためて感じた。

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台湾人は親日だとよく言われる。僕も旅の間に何度か親切にしてもらった。ただ、それが、僕が日本人だったからかどうかは分からない。

最後の日に予定のフライトを乗り過ごした上、残金も少なくてパニックに陥ったとき、警察が心配して色々アドバイスしてくれたことは本当に感謝している。次に台北へ行ったとき、お礼に菓子折りを持っていこうと思う。

台北は総じて物価が低く、食事も安く済ませられる(定食が100円くらいで注文できる)し、英語もそこそこ通じるし、なんといっても安全に旅行できる。そして、東京から3時間半で行けて、異国情緒にたっぷり浸ることができる。魅力的な都市だ。

また、今回感じたのは、台湾人の信仰心が篤いこと。保安宮、士林夜市の発祥になった寺、龍山寺など、沢山の道教寺院をまわったが、線香と供物を捧げてみな一心に祈っていた。小さいものから大きなものまで、道教寺院や道教の廟は至るところにあって、町中に社や祠がある京都にどこか近いものがある。
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そして、台湾人は大人しい。下手すると、日本人の方が騒がしいかも知れないくらい。がなり立てるサラリーマン集団や馬鹿騒ぎする学生みたいなのには一度も遭遇しなかった。

素直な信仰心、大人しさなど、日本人は彼らから見習うべきではないか?

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小池総理? 最高のジョークだ

衆院選に向けて、お粗末な左派メディアがいっせいに¨小池百合子総理¨誕生を囃し始めた。

はっきり言って、僕は小池百合子という政治家が大嫌いだ。¨クールビズ¨を流行語にした以外にまったく実績の無いこの女を、なぜか世間は持ち上げている。

僕は先の都議選では増田寛也に投票したが、都民の多くは小池を選んでしまった。市場移転問題では決定をズルズル先伸ばしにした挙げ句、築地を守り豊洲は活かすという訳の分からない構想をぶち上げ、1兆円超に及ぶ膨大な赤字を垂れ流した。これこそ小池が言う¨ワイズスペンディング¨なのだろう。

小池は¨しがらみのない政治¨を目指すと言うが、民進党との烏合を取り持ったとされる小沢一郎、そして前原誠司小泉純一郎との関係こそ¨しがらみ¨そのものだ。

小沢一郎なんていう、時代遅れで、政界をかき回すだけの人間がいまだに議席を保っているのも本当に不思議で仕方ないが、彼はいい加減、自らの役割の終焉を自覚して議員辞職した方がいい。彼に支出される議員報酬は無駄だ。清掃奉仕でもしていてもらった方が世のためになる。

小池百合子は¨日本をリセットする¨などという仰天発言をした。まったくもって何をリセットするというのか?この発言に、小池の思い上がり、勘違いが端的に表れている。

これまで渡り歩いた政党で何ら実績を残せなかった女に何をどうリセットできるというのだ?中味の無いカタカナ語のオンパレードとイメージ戦略だけで政治生命をつないできた情けない自分自身をまずリセットすべきだ。

小池は真空そのものの¨東京大改革¨とやらの具体策をつめる前に、衆院選にきっと出馬してくるだろう。首相になりたくてしかたなかった、しかし実力がないので究極のポピュリズムに訴えるしかなかった65歳老婆の最後の悪あがきである。

衆院選に出た暁には、烏合でしかない¨希望の党¨の内部分裂を抑えることもできず、もちろん都知事にも自民党にも戻ることはできず、政治家として終わりを迎えるだろう。

そもそも、小池が所属政党をあちこち替えてきたのは、居場所をつくれなかったからだ。つまり、簡単に身内を裏切るし、人望もないということ。そして、利用できそうな小泉や小沢といった時々の権力者にだけは自らすり寄ってきた。

騙されている有権者も、そろそろいい加減に眼を覚ました方がいい。空疎な熱狂が国民に害悪しかもたらさないことは、民主党政権の誕生で嫌と言うほど味あわされたではないか。

音楽との衝撃的な出会い

9月のいま頃の季節は例年ならもっと蒸し暑いが、今年は急に秋が迫って来ている感じで、夜などは特に涼しい。蝉の声をしっかり聴く間もなく、秋の虫がすだくのを耳にするようになった。

秋の夜長に静かに耳傾ける音楽、さて何がいいだろう。ベタ過ぎるけど、ブラームス

ブラームスといえば、バレンボイムとシカゴ響による4番を最近Youtubeで聴いたけど、とても良かった。丁寧に、しっとりと、美しく練り上げられた響きが、見事に¨ドイツ風¨なブラームスを出現させていた。全集BOXをおそらく買うことになりそうだ。

秋はしんみりする。しんみりすると、音楽が心と体に沁み入る。秋は良い音楽がクリティカルヒットするのに理想的な季節だ。

色々な音楽と出会ってきた中で、まさにクリティカルヒット、衝撃的な出会いを果たしてしまった音楽というのが、誰にでもいくつかあるだろう。

僕の場合、それは3つ。「イパネマの娘」と「夜が明けたら」、そして「エレクトリック・カウンターポイント」だ。

イパネマの娘」は、中学生の頃にラジオで初めて聴いた。こんなに気持ちが良くて、脱力感いっぱいの音楽がこの世の中にあったんだと、ショックを受けた。

「夜が明けたら」は、浅川マキ氏のヒットソングだ。これも中学生のとき、TBSラジオ¨五木寛之の夜¨だったと思うが、耳にして驚天動地した。歌なのか呟きなのか判然としないカオスな歌声に引きずり込まれるままに、茫然自失した記憶がある。浅川マキ氏は、新宿のPit Innでライヴを聴きに行ったことがある。急に亡くなってしまい、とても残念だ。

「エレクトリック・カウンターポイント」は、スティーヴ・ライヒの大傑作。僕は大学生のときに出会った。クラシック音楽好きの後輩が持っていたディスクマンを借り、イヤホンを耳にして流れてきたのがこの曲だった。夜中、大学の裏門そばの緑が多い通りで、いままで聞いたことがない鮮烈な音響に触れた僕は、立ちすくんでしまった。「何これ!?」と、思わず叫んだのを覚えている。

この3曲はその後、繰り返し繰り返し聴いて、僕の体の奥深くにしっかりとしまい込まれた。

あれから色々な場所で、色々なタイミングで、新しい音楽を聴いてきたが、この3つを凌ぐような音楽との出会いはなかったように思う。この先も、もうないかも知れない。寂しいけれど。新しい音楽が衝撃そのものとしてぶつかってくる時というのは、人生の中で必ずあるものだと思う。

ブログへのアクセス数について

月に2~3記事はアップしたいと考えているけれど、8月は今回が一つ目という怠けぶり・・・。

ところで、このブログは¨はてなブログ¨を使用しているが、アクセス数に関してショッキングな事実に最近気づいた。

はてなブログ(スタンダード版)では、アクセスの状況を日々確認できる。ブログのアカウントはスマホで取っていて、どうやら自分のスマホからのアクセスは総数から除外されるようで、ここまではいいと思う。

しかし、PCで自分のブログにアクセスして、アクセス総数の変化を見て分かったのだが、いったんブログから離れて(見ていたブラウザを閉じて)から、再びアクセスすると、アクセス数が重複カウントされるのだ。つまり、アクセス数はブログの閲覧者数を示しているのではなく、アクセスの延べ数を示しているに過ぎないわけだ。

ちょっとショックだった。元々、このブログへのアクセス数は少なかったけれど、実際に訪れてくれている人は予想以下の可能性があるということなわけだ。。

書きたいことをつらつら書いて放出するのを目的にしている当ブログだが、せっかくなので、ユーザー数を増やすために策を練ろうと考え始めた。

お祭りとヤンキー

先週、先々週、ちょっとしたご縁があって、逗子と横須賀の神社のお祭りに参加させていただいた。どちらも緑の豊かな地域で、勾配が多くてよく風が通る、気持ちの良い土地だった。

神社で修祓式が執り行われた後、宮司禰宜を先頭に、大勢の担ぎ衆に担がれたお神輿が氏子地域を練り歩く。要所要所で氏子のお祓いをしたり、子どもの成長を祈願して神輿の下をくぐってもらったりする。途中、何箇所も休憩所があって、軽食やお酒、お菓子、ジュースなどが豪雪に振る舞われた。昼前から夕方まで炎天下を練り歩いたわけだが、担ぎ衆達はしんどそうだった。

お祭りに参加している人達を見ていると、いわゆるヤンキーが多いことに気づく。神職に聞くと、「どこのお祭りもヤンキーは多い」とのこと。町のお祭りなどでも、焼きそばやわた飴の出店を切り盛りする人達にヤンキー風情の人は多い。

ヤンキーは地元や地元のコミュニティを大切にする。地元で働き、地元で結婚相手を見つけ(あるいは結婚相手を地元に呼び寄せ)、子どもも地元で育てる。逆に、田舎から都会に出たら、ヤンキーなファッションやノリは通用しない。地元にとどまるからこそヤンキーは続けていける。

お祭りの後の直会(なおらい、と読む)で年配の方に話を聞いたのだが、横須賀は若者が減っているのだという。すぐそばに海があって、横浜への通勤にも便利そうなのに、人口は減少傾向にあるそうだ。都会へ出ていく若者も少なくないよう。

横須賀なんて全国的にも知名度は高いし、サーフィン好きや自然に囲まれた暮らしをしたい向きには素晴らしい土地だと思うのだが、現実には人口減に悩んでいる。そうした過疎化する地方都市にとって、ヤンキーはありがたい存在だろう。地元に住み、労働力を供給し、子どもを生んで、その子どもと一緒にお祭りにも積極参加してくれる。

お祭りにヤンキーが多いのは、ヤンキーは地元が好きだから、普段はあまり会えない地元の仲間ともお祭りでは会えるから、イベントが好きだから、日本的な情緒に触れるのが好きだから、などが理由だろうか。

堀江貴文さんは「すべての教育は「洗脳」である」の中で、これからの生き方の一つとしてL(いわゆるローカル)を指摘しているが、ヤンキーはまさにLな生き方だ。

いまは、衰退する地方都市を甦らせるために地元ヤンキーの力が欠かせない時代かもしれない。見てくれは怖いが、地元のためには力を惜しまない。集まりがいい。リーダーの下ではみんな素直。基本的にみんな若いからノリもいいし体力もある。中途半端な若者を呼び寄せるよりも、ヤンキーという資産を活用させてもらうことが、地方活性化の早道になりそうな気がした。

移民政策

少子高齢化が進んでいる日本は、そう遠からず総人口が1億人を下回り、限界集落はどんどん消滅。東京などの大都市圏を除いて、全国の街は老人だらけになって消費は縮小し、高齢者の医療費と年金の負担のために若者そして現役世代も経済的に苦しい状況に陥っていく。よく語られる日本の将来の姿だけれど、ほぼこの通りの明るくない未来が現実のものになると僕も思う。

介護ロボットや労働力不足を補うAIの活用で、日本は世界に先駆けて少子高齢化を切り抜けられるという楽観的な見方もあるが、高齢者のマスがフェードアウトした後、残されたのはロボットの山とAI、疲弊しきった若年層だけなんてことになるのではないか。楽観的な見方を語るのはだいたい、逃げ切れる世代に属する人間たちだ。

シンガポールは日本より出生率が低く、日本と同じように少子化に頭を悩ませているが、移民を積極的に受け入れることで高い経済成長率と国力を保っている。元々マレーシアの一部だったシンガポールは、中華系、マレー系、インド系の住民が古くから共存し、外国人を自国民として受け入れる素地があったと推測するが、日本ではそうはいかない。

観光客として外国人に来てもらうのはwelcomeだが、お隣にどこの国だか分からない人が引っ越してくるのはキツいという人が多いのではないか。もっと言ってしまうと、白人ならまぁOKだが、アジア系や黒人は厳しいと感じる日本人は少なくないだろう。近所付き合いの仕方、騒音、におい、もちろん言葉の問題もそうだが、実際に生活していくなかで綺麗事では済まされない問題が持ち上がる。一方でレベルの高い教育を受けた外国人、いわゆる高度人材は、何国人であろうと、うまくやっていくだろうし、適当に日本の習俗や文化に合わせることができる。

最近になって政府もフィリピン人介護職スタッフの受け入れを積極化することを決めたが、これからの日本は、このフィリピン人介護スタッフのように高度な職業訓練や教育を受けた人材を近隣のアジア諸国から呼び込む以外にないと思う。彼らは当初はれっきとした外国人かも知れないが、国籍を取得すれば公式に日本人である。そして、日本に代々住んでもらい、子供を生み育ててもらう。

よく知らないが、大和民族だって元々は大陸からの移民だったろうし、中国や朝鮮からの渡来人の血をひく人は現在でもそこそこいるのではないか。そう考えると、¨純ジャパニーズ以外アレルギー¨の根拠もあやふやになる。

いわゆる純血日本人が自ら子供を持とうとしない以上、日本人が消えていなくなるか、外国人を受け入れて日本人になっていってもらうか、あり方としてはその2つに一つしかないはずだ。人口妊娠中絶を禁止すれば現在の人口を維持できるという裏技もあるようだが、これは実現可能性から言って論外だし、未婚の貧困層が拡大するだけだろう。

移民の受け入れをしたところで、人口維持にはもう手遅れという説もある。でも、勇気ある政治家が移民の大々的な受け入れを実行してくれることを願っている。僕は安倍政権を支持しているが、有権者層として厚い高齢者たちには受け入れられそうにもない移民政策なんて、選挙公約になりそうもない。小泉進次郎に期待するしかないか。