Dear-Abbadoのブログ

折々の雑感を綴っていきます。

移民政策

少子高齢化が進んでいる日本は、そう遠からず総人口が1億人を下回り、限界集落はどんどん消滅。東京などの大都市圏を除いて、全国の街は老人だらけになって消費は縮小し、高齢者の医療費と年金の負担のために若者そして現役世代も経済的に苦しい状況に陥っていく。よく語られる日本の将来の姿だけれど、ほぼこの通りの明るくない未来が現実のものになると僕も思う。

介護ロボットや労働力不足を補うAIの活用で、日本は世界に先駆けて少子高齢化を切り抜けられるという楽観的な見方もあるが、高齢者のマスがフェードアウトした後、残されたのはロボットの山とAI、疲弊しきった若年層だけなんてことになるのではないか。楽観的な見方を語るのはだいたい、逃げ切れる世代に属する人間たちだ。

シンガポールは日本より出生率が低く、日本と同じように少子化に頭を悩ませているが、移民を積極的に受け入れることで高い経済成長率と国力を保っている。元々マレーシアの一部だったシンガポールは、中華系、マレー系、インド系の住民が古くから共存し、外国人を自国民として受け入れる素地があったと推測するが、日本ではそうはいかない。

観光客として外国人に来てもらうのはwelcomeだが、お隣にどこの国だか分からない人が引っ越してくるのはキツいという人が多いのではないか。もっと言ってしまうと、白人ならまぁOKだが、アジア系や黒人は厳しいと感じる日本人は少なくないだろう。近所付き合いの仕方、騒音、におい、もちろん言葉の問題もそうだが、実際に生活していくなかで綺麗事では済まされない問題が持ち上がる。一方でレベルの高い教育を受けた外国人、いわゆる高度人材は、何国人であろうと、うまくやっていくだろうし、適当に日本の習俗や文化に合わせることができる。

最近になって政府もフィリピン人介護職スタッフの受け入れを積極化することを決めたが、これからの日本は、このフィリピン人介護スタッフのように高度な職業訓練や教育を受けた人材を近隣のアジア諸国から呼び込む以外にないと思う。彼らは当初はれっきとした外国人かも知れないが、国籍を取得すれば公式に日本人である。そして、日本に代々住んでもらい、子供を生み育ててもらう。

よく知らないが、大和民族だって元々は大陸からの移民だったろうし、中国や朝鮮からの渡来人の血をひく人は現在でもそこそこいるのではないか。そう考えると、¨純ジャパニーズ以外アレルギー¨の根拠もあやふやになる。

いわゆる純血日本人が自ら子供を持とうとしない以上、日本人が消えていなくなるか、外国人を受け入れて日本人になっていってもらうか、あり方としてはその2つに一つしかないはずだ。人口妊娠中絶を禁止すれば現在の人口を維持できるという裏技もあるようだが、これは実現可能性から言って論外だし、未婚の貧困層が拡大するだけだろう。

移民の受け入れをしたところで、人口維持にはもう手遅れという説もある。でも、勇気ある政治家が移民の大々的な受け入れを実行してくれることを願っている。僕は安倍政権を支持しているが、有権者層として厚い高齢者たちには受け入れられそうにもない移民政策なんて、選挙公約になりそうもない。小泉進次郎に期待するしかないか。

ダッカへの旅 (4)

コムラプール駅はダッカの中央駅、とガイドブックなどには書かれている。しかし、中央駅とはいっても、大きめな駅舎があって人だかりがしているだけで、ショッピングモールがあるわけでもなく、観光案内所があるわけでもない。素朴そのものの駅だ。

コムラプール駅からしばらく移動したあたりで、腹ごしらえに¨ハティジール¨という店でビリヤニを食べ、リキシャをつかまえてブリゴンガ川の船着き場へと向かった。リキシャを下りると早速、ガイドとおぼしき男につかまり、案内されるがままに船頭付きの木の舟に乗って、水上からの眺めを堪能。対岸にある船の解体修理場も見学させてもらった。

余談だが、地元民はブリゴンガ川のことを¨ブリゴンガリヴェル¨と発音する。もちろん英語で言っているわけだが、ベンガル英語なので¨R¨の発音が巻き舌できついのだ。他にも、¨ヘアル(hair)¨や¨ナルヴァス(nervous)¨など、びっくりするようなベンガル発音に何度も遭遇した。

発音は独特で文法もおかしかったりするけれど、バングラデシュ人はけっこう積極的に英語を話す。その点、日本人とは対照的で、マレーシア人がよく英語を話すこともあわせて考えると、なぜ日本人には英語が苦手な人が多いのか、なかなか悩ましいものがあるような気がする。

オールドダッカには、素のままのバングラデシュ人の暮らしがあった。物売り、裏路地に佇む家族、腐臭を放つゴミの山、リキシャと人の群れ、絡み合った電線、煤けたアパート、物乞い、イスラムの礼拝所、路上で屠られた血まみれの牛、虫の群がるサトウキビのジューススタンド、外国人である僕に話しかけつきまとってくる子供そして大人。貧しいながらも何か圧倒的なエネルギーを感じさせるカオスが、そこには間違いなくあった。

旅程の後半には、ダッカ最大のモスク、バイトゥル・ムカロムやボンゴボンドゥ・スタジアムなどを見て回った。親切な大学生の家に招かれてお昼ご飯をごちそうになったり、日本にも行ったことがあるというムスリムのビジネスマンにコークを奢ってもらったりもした。最終日には、ボナニの街へ戻ってお土産を買い、ジェラートカフェなどに寄り、バスに揺られて一路空港へと向かった。

他にも、ここには書けないような体験や出来事が色々とあった。それもこれも、僕にとって一生のいい思い出になりそうだ。

バングラデシュは、膨れ上がる1億何千万もの人口を抱えて、これからどう変貌していくのだろうか。ひたすら静かで清潔で、隅々まで秩序だった日本に戻ってきてから、少し心配しながらぼんやりと考えている。

ダッカへの旅 (3)

シャージャラル国際空港で入国審査にひっかかった僕は、軽いフライトの疲れを感じながら、ポリスがスーツ姿の男達と話し合っているのを眺めていた。そのうち、どうやら彼らがホテルの営業マンらしいと分かった。結局、ポリスの仲介によって、こちらと向こうとで予算の折り合いがつき、ボナニという街にある某ホテルに最初の宿をとることができ、バングラデシュへもなんとか無事に入国することができた。

迎えのハイヤーでホテルへ向かう道中に見た深夜のダッカは、夜中にもかかわらずいたるところで人が闊歩し、道路に溢れかえった車があちこちでクラクションを盛大に鳴らし、夜目にも埃っぽいのがよく分かるくらいに街中が薄汚れていて、なんとも異様な雰囲気を醸し出していた。

5月5日金曜日。ホテルをチェックアウトし、ボナニからダッカの中央駅であるコムラプールへ向かった。しかし、金曜はイスラムの休日だとかで、あろうことか電車は運行していないという。おんぼろのバスは頻繁に行き交っている。仕方がないのでバスをつかまえることになったが、バス停などどこにもないのである。近くにいた人に行き先を伝えて、コムラプール行きのバスがきたところで教えてもらい、飛び乗った。

この後もあちこちで経験することになったけれど、バングラデシュ人はとにかく親切なのだ。もちろん、めったに出会うことのない外国人が物珍しくて親切にしてくれているという側面もあるかも知れない。でも、それを差し引いても、皆つくづくフレンドリーなのである。

また、¨China?¨ などと通りで突然声をかけられて日本人だと答えると、¨Japani Japani¨ ¨Japan is great country!¨ などと言って喜んでくれるほど、現地では日本人のイメージが良い。日本からのODAの影響もあってバングラデシュは親日国だと聞いてはいたが、それを肌身で感じることができたのはとてもよかった。

さて、自分以外全員バングラデシュ人のバスに揺られながら、目的のコムラプール駅にはなんとか辿り着くことができた。(続きは(4)へ)

ダッカへの旅 (2)

5月4日木曜日の夜、ダッカのシャージャラル国際空港に到着した。

バングラデシュへの入国は、観光であっても商用であっても事前にビザを取得しなければいけないことになっている。しかし、観光であれば、空港でアライバルビザを即席取得できるらしいと聞いていたので、僕はそれに賭けることに決めていて、ビザは取得していなかった。

空港に入るとすぐにアライバルビザのカウンターが見つかった。列に並んで待っていると、どこからともなくミャアミャアという鳴き声がする。何かと見ると、野良猫が一匹遊んでいる。空港の中に猫が紛れ込んで当たり前のように闊歩しているのには驚かされたが、なんだかほっとする光景でもあった。

アライバルビザカウンターには2つのブースにポリスが2名ずついる。必要事項を書き込んだビザ申請書を彼らに渡すのだが、僕はそこでひっかかってしまった。宿泊予定地として、ダッカの中央駅であるコムラプール駅近くの某ホテル名を書いたのだが、ポリスはホテルからの予約確認レター(返信メール)を提示しろと言うのだ。

僕はホテルの予約すらしていなかったので、当然、レターなんてない。ホテルの予約はしていないと正直に告げると、ポリスは「それでは通すわけにはいかない」とにべもない。さらに「どこでもいいからホテルの予約をとって、レターを見せろ」と言うのである。これには困ってしまった。空港の電話を借り、¨地球の歩き方¨に載っているホテルに片っ端から電話をかけたものの、かけ方が悪かったのか、どこにもつながらなかった。

カウンターに戻ってポリスにそのまま伝えると、さすがに呆れたらしい。「ちょっとついて来い」と言う。Allaudinというそのポリスの後について入国管理カウンターを抜け、さらに進んで行く。カウンターの向こうにある鉄柵近くでは、数人のスーツ姿の男達が談笑している。ポリスはその男達一人一人に声をかけ始めた。

ダッカへの旅 (1)

5月3日~9日までの休暇を利用して、バングラデシュの首都ダッカへ旅行してきた。15年以上ぶりの海外、そして初めての海外一人旅ということで、あり過ぎるくらいに色々なことがあったが、陰に陽に、自分の人生にインパクトを与えてくれることになりそうな素晴らしい旅となった。その旅行記を何回かに分けて記しておきたい。

5月4日(木)の早朝。経由地であるマレーシアはクアラルンプール国際空港(KLIA)に到着した。天気は雨。KLIAの空気はなんだかスパイシーな匂いがする。トランジット時間が長いので、クアラルンプールでしばらく時間をつぶすことになった。思った以上に近代的で清潔な空港内をうろうろ。時計がすべてOMEGAなのにも驚く。モノレールに乗って入国審査カウンターへ。

入国後、KLIA ekspres(expressではない!)でセントラル駅へ行き、そこからモノレールに乗ってChow Kitという駅で下車した。駅から少し歩くと市場があったのでのぞいてみたが、猛烈に臭い。あらゆる生魚が至るところに陳列され、すさまじい臭いを放っているのだ。生きたナマズ、泥まみれの赤身のタニシのような貝などなど。青果売り場で小さな青林檎を一つ買って食べた。市場のすぐ近くには煤けた古いマンションが建っていて、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。

クアラルンプールは、ほとんど東京と変わらない大都会である。駅員からコンビニの店員、街中のおじさんに至るまで、多くの人が英語を解するのにも驚かされたが、中華系、インド系、マレー系、その他、色々な肌色・顔つき・服装の人々が行き交い、人種構成が多様なことにも感心させられた。KLIAセントラル駅の構内なんて、まさに人種のるつぼである。

蒸し暑さとフライトの疲れもあって、カフェで一休みをした。コーヒーはあまり美味しくない。夕方近くになって突然、どしゃ降りの雨に。セブンイレブンで傘を買ったが、傘を差している人はあまり見かけなかった。マレーシアは英国連邦の一国だが、これも英国の影響なのだろうか。

そうこうするうちに、ダッカへのフライト時間が迫り、再びKLIAへ舞い戻った。

ブログ開設から1年が経ち

2016年4月にまったくの思いつきから始めた当ブログ、めでたく開設1年を迎えることができた。

当初はがんばって毎日1本ずつ記事を書いていたが、だんだん間が空くようになり、ネタに事欠くようになり(笑)、いまでは月に2本ほどの記事をアップするくらいである。

PVもほとんどないし、半ば日記かつ自省録みたいなブログだから、これからも気が向いたとき、思いついたときに、風に流されながら、しこしこ書き綴っていこうと思っている。

世の中すごいもので、毎日数本の記事(しかもそれなりに読みごたえのあるもの)を書き続けているような人がいる。プロの作家なんかは毎日複数の〆切に追われるなんて当たり前だろうけれど、アマチュアとか匿名の世界でもすぐれた書き手はいっぱいいるのだ。

僕が毎日のようにアクセスし記事を読ませていただいているブログを、(勝手にリンクを貼らせていただいて申し訳ないのですが)すこし紹介したい。

クラシックCD聴き比べ ~ Classic CD Memos ~
http://karajan2.blog101.fc2.com/

ITスペシャリストが語る芸術
http://www.kaynotes.com/

吾唯知足
http://evdwdr.blog.jp/

いずれのブログもためになるし、常に新しい発見があるし、書き手が率直で、読んでいてとても面白い。

先輩方を模範に、次はブログ開設2周年を目指して僕も精進します。

アバドの¨太鼓連打¨

アバドがヨーロッパ室内管弦楽団を振ったハイドン交響曲103番¨太鼓連打¨、これは本当に良いディスクだ。録音は¨95年3月・フェラーラ¨とあるから、アバドがまだ元気だった頃の録音になると思う。

一楽章の冒頭、ティンパニがスカッと鳴り渡る。マイクがその音をよくとらえていて、こんなに決まったドラムロールは聴いたことがないくらい。その轟きの後を引き継ぐチェロ、コントラバスファゴット、そしたまたその後を継ぐフルートの美しさ、弦のしなやかな鳴りも素晴らしい。ティンパニが随所でしっかり鳴って、自己主張している点も良い。

ヨーロッパ室内管弦楽団は小編成のオーケストラだが、響きが厚くない半面、密で、アバドの棒によくついて弾み、よくしなる。若く瑞々しい音楽が、自ら身を乗り出して駆け出していく感じ。まるで、もぎたての果物から甘酸っぱい香りが発散するのような、鮮度の高さがある。

また、録音の良さも演奏の美点をよく伝えている。残響は適度、各楽器の分離もよく、音域のバランスがよいので耳が疲れない。

¨太鼓連打¨は、カラヤンベルリンフィル(81-82年)とビーチャム/ロイヤルフィルを聴いたことがあった。しかし、アバドの演奏に出会って僕は初めてこの曲に開眼したと言ってもいい。とにかくフルオーケストラの演奏からは聴こえてこない音が飛び出してきて、ハイドンはこうでなくっちゃ、と感心してしまう。

古楽器オケでもピリオドアプローチでなくても、こんなにフレッシュなハイドンを聴かせることができるのだから、やはり指揮者、奏者の力量次第なのだ。アバドの素晴らしさを証すディスクは数多いので、これからも当ブログで紹介していきたいが、この演奏は間違いなくその上位に属するものと言える。